「実」について その1

新改訳聖書』第3版のガラテヤ人への手紙5章22節と23節に、次のように書かれています。
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22節
しかし、御霊(みたま)の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23節
柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
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「御霊(みたま)の実」として、「愛」「喜び」「平安」「寛容」「親切」「善意」「誠実」「柔和」「自制」が挙げられています。

 

マタイの福音書7章15節から17節までに、次のように書かれています。
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15節
にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。
16節
あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。
17節
同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。
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17節に、「・・・良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。」とあります。

 

「御霊(みたま)の実」は「良い実」である、と言うことができると思います。

 

15節に、「・・・彼ら(すなわち、にせ預言者たち)は羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。」とあります。

 

この言葉から、「にせ預言者たち」は「表と裏」がある、と言うことができるのではないでしょうか。

 

「表」、すなわち、「羊のなりをしてやって来る」は偽りで、「裏」、すなわち、「うちは貪欲な狼です」が真実である、のではないでしょうか。

 

このような「にせ預言者たち」は、「良い実」を結ぶことができるでしょうか。

 

このような「にせ預言者たち」は、「御霊(みたま)」を持っている、ということは考えられるでしょうか。

 

答えは、難しくないと思います。

 

人を見て、「愛」「喜び」「平安」「寛容」「親切」「善意」「誠実」「柔和」「自制」といった、「御霊(みたま)の実」が備わっているのを見ることができるかどうかによって、「に預言者」であるかどうかが分かると思います。