「神の子ども」について その6

新改訳聖書』第3版のガラテヤ人への手紙4章4節から7節までに、次のように書かれています。
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4節
しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。
5節
これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。
6節
そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父」と呼ぶ、御子の御霊(みたま)を、私たちの心に遣わしてくださいました。
7節
ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、神による相続人です。
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5節の「これは」の「これ」は、4節の、「神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさ」ったこと、を指している、と言うことができると思います。

 

そうすると5節は、「神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさったのは、律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。」となります。

 

「・・・その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。」とあります。「私たちが子としての身分を受けるようになる」のは、神がご自分の御子を遣わされてからのことである、と言うことができると思います。

 

これまで述べてきたことからすると、アブラハムは「子としての身分を受ける」ことは無かった、ということになると思います。なぜなら、アブラハムの時代に、神はご自分の御子を遣わされていなかったからです。人が「子としての身分を受ける」のは、神がご自分の御子を遣わされてから、と言うことができると思います。

 

ローマ人への手紙8章17節に、「もし子どもであるなら、相続人でもあります。・・・」とあり、ガラテヤ人への手紙4章7節(上記)に、「・・・子ならば、神による相続人です。」とあります。「相続人」は奴隷ではなく「子」である、と言うことができると思います。「子」というのは、「神の子ども」のことです。

 

「・・・世界の相続人となるという約束が、アブラハムに・・・与えられた・・・」(ローマ4:13)と言う場合、アブラハムが相続人となるのは、アブラハムが「神の子ども」とされたときである、ということが言えるのではないでしょうか。そして、アブラハムが「神の子ども」とされることは、アブラハムが生きていた時代には無かった、なぜなら、アブラハムの時代に、神はご自分の御子を遣わされていなかったから、と言うことができるのではないか、と思います。

 

いかがでしょうか。