「世の終わり」について その5

新改訳聖書』第3版のマタイの福音書24章34節と35節に、次のように書かれています。
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34節
まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この*時代は過ぎ去りません。

 

* 別訳「世代」

 

35節
この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
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24章30節以降に書かれていることが、「あなたの来られる時や世の終わり」のときのことであるとすると、この34節と35節に書かれていることも、「あなたの来られる時や世の終わり」のときのことである、と言うことができます。

 

34節に、「・・・これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。」とあります。

 

言い換えると、「これらのことが全部起こってしまう」なら、「この時代は過ぎ去」る、ということになります。

 

「これらのこと」というのは、何でしょうか。それは、「あなたの来られる時や世の終わり」の『前兆』、および「人の子」が来られること、ではないかと思われます。

 

「あなたの来られる時や世の終わり」の『前兆』、および「人の子」が来られる、ということが全部起こってしまうなら、「この時代は過ぎ去」る、と考えられます。

 

そして「この時代は過ぎ去」る、ということが「世の終わり」、もしくは、「この世の終わり」ではないか、と思われます。

 

35節(上記)の「この天地は滅び去ります。・・・」というのも、「世の終わり」のこと、もしくは、「この世の終わり」のこと、ではないでしょうか。

 

「ノアの日」に「洪水が来てすべての物をさらってしま」(マタイ24:39)い、「すべての人を滅ぼしてしま」(ルカ17:27)ったように、「世の終わり」には、「人の子」が来て「この天地は滅び去」るのではないか、と思われます。

 

マタイの福音書13章40節(その3、中ほど)に、「・・・毒麦が集められて『火』で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。」とあります。

 

「ノアの日」の場合は、「洪水」がすべての物をさらいましたが、「この世の終わり」の場合は、『火』がすべてのものを滅ぼすのではないかと思われます。

 

その6、に続きます。