「ねたみ」について その1

新改訳聖書』第3版のマタイの福音書27章18節に、次のように書かれています。
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18節
ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていたのである。
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1行目に、「・・・彼らが『ねたみ』からイエスを引き渡した・・・」、とあります。

 

マタイの福音書27章1節と2節に、次のように書かれています。
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1節
さて、夜が明けると、祭司長、民の長老たち全員は、イエス死刑にするために協議した。
2節
それから、イエスを縛って連れ出し、総督ピラトに引き渡した。
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「祭司長、民の長老たち全員」(1節)が「イエスを・・・総督ピラトに引き渡した」(2節)、とあります。

 

エスをピラトに引き渡したのは、「祭司長、民の長老たち全員」であることが分かります。

 

マタイの福音書27章18節(上記冒頭)の、「彼らが『ねたみ』からイエスを引き渡した」の「彼ら」というのは、「祭司長、民の長老たち全員」(1節)のこと、と言うことができると思います。

 

「『ねたみ』から・・・引き渡した」、とあります。

 

つまり、「祭司長、民の長老たち」(1節)はイエスを『ねたんでいた』、ということです。

 

「『ねたみ』から」というのは、どのようなことであると考えられるでしょうか。

 

マタイの福音書21章12節から15節までに、次のように書かれています。
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12節
それから、イエスは宮に入って、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。
13節
そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の*巣にしている。」

 

* 直訳「ほら穴」

 

14節
また、宮の中で、盲人や足のなえた人たちがみもとに来たので、エスは彼らをいやされた。
15節
ところが、祭司長、律法学者たちは、イエスのなさった驚くべきいろいろのことを見、また宮の中で子どもたちが「ダビデ子にホサナ」と言って叫んでいるのを見て腹を立てた。
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15節に、『・・・祭司長、律法学者たちは、イエスのなさった驚くべきいろいろのことを見、また宮の中で子どもたちが「ダビデの子にホサナ」と言って叫んでいるのを見て腹を立てた。』とあります。

 

祭司長、律法学者たちは、なぜ『腹を立てた』のでしょうか。

 

「イエスのなさった驚くべきいろいろのこと」を見たから、また、『宮の中で子どもたちが「ダビデの子にホサナ」と言って叫んでいるのを見』たから、ではないでしょうか。

 

「イエスのなさった驚くべきいろいろのこと」というのは、14節の、「・・・宮の中で、盲人や足のなえた人たちがみもとに来たので、・・・彼らをいやされた」こと、と言うことができると思います。

 

「盲人や足のなえた人たち・・・をいやされた」ことが、「驚くべきいろいろのこと」に当たる、と思います。

 

『祭司長、律法学者たちは、イエスのなさった驚くべきいろいろのことを見、また宮の中で子どもたちが「ダビデの子にホサナ」と言って叫んでいるのを見て腹を立てた』(21章15節、上記)、とあります。

 

つまり、「祭司長、律法学者たちは、イエスのなさった驚くべきいろいろのことを見・・・て腹を立てた」のであり、また、『宮の中で子どもたちが「ダビデの子にホサナ」と言って叫んでいるのを見て腹を立てた』のです。

 

本来なら、「驚くべきいろいろのこと」は、自分たちがしたいこと、もしくは、できるとよいと思っているようなことであるのに、それをイエスがなさり、また「ダビデの子にホサナ」というのは、自分たちが言われたいことであるのに、それを、イエスが子どもたちから言われていた、だから祭司長、律法学者たちは『ねたんだ』のではないでしょうか。

 

それで、『腹を立てた』、と考えることができると思います。

 

祭司長、律法学者たちの『心』は、カインの『心』に通じるものがあるのではないでしょうか。