「人の子」について その9

これまで『人の子』について述べて来ました。

 

「その2」では、マタイの福音書9章6節の『人の子』について、「その3」では、マタイの福音書16章13節の『人の子』について、「その4」では、マタイの福音書17章9節の『人の子』について、「その5」では、マタイの福音書17章22節の『人の子』について、「その6」から「その8」まででは、マタイの福音書24章30節および同書16章27節の『人の子』について述べて来ました。

 

これらの節の『人の子』は、すべて、イエスが言われた言葉です。

 

つまりイエスは、ご自分のことを『人の子』と言われていた、ということです。

 

ほかの人がイエスのことを『人の子』と言った場合もあります。

 

例えば、『新改訳聖書』第3版の使徒の働き7章55節と56節に、次のように書かれています。
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55節
しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、
56節
こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
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ステパノは、『イエス』(55節)のことを『人の子』(56節)と言っています。

 

これまで引用して来た節のほかにも、『人の子』という言葉はたくさんあります。

 

全部調べたわけではないので確かなことは言えませんが、おそらく、『人の子』という言葉は『イエス』を指す言葉として用いられているのではないか、と思います。

 

マタイの福音書26章64節に、次のように書かれています。
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64節
エスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」
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2行目から、「・・・今からのち、『人の子』が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」とあります。

 

この『人の子』という言葉も、イエスが言われた言葉です。

 

『人の子』というのは、誰のことであると考えられるでしょうか。

 

エスがご自分のことを『人の子』と言われていた、ということからすると、26章64節の『人の子』も『イエス』である、ということになります。

 

26章64節の『人の子』が、『天の雲に乗って来る』ということからも、それは『イエス』である、と言うことができると思います。

 

また、『人の子が、力ある方の右の座に着き』という言葉からも、『人の子』は『イエス』である、と言うことができると思います。

 

今のところ、『人の子』が『イエス』以外の人を指す例は見つかっていません。

 

見つかったら、また述べようと思います。