「死刑」について その4

新改訳聖書』第3版のマタイの福音書26章63節から66節までに、次のように書かれています。
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63節
しかし、イエスは黙っておられた。それで、大祭司はイエス言った。「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」
64節
エスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」
65節
すると、大祭司は、自分の*衣を引き裂いて言った。「神への冒瀆だ。これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、今、神をけがすことばを聞いたのです。

 

* あるいは「着物」

 

66節
どう考えますか。」彼らは答えて、「彼は死刑に当たる」と言った。
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63節に、「しかし、イエスは黙っておられた。・・・」とあります。

 

「黙っておられた」のは、『神殿』について説明しても、大祭司は「聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないから」(マタイ13:13)ではないでしょうか。

 

ヨハネ福音書8章43節に、次のように書かれています。
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43節
あなたがたは、なぜわたしの*話していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。

 

* あるいは「わたしの話のしかた」

 

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2行目から、「・・・あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。」、とあります。

 

「あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないから」、「イエスは黙っておられた」(マタイ26:63、上記冒頭)、と考えることもできると思います。

 

「あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないから」「聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしない」(マタイ13:13)ので、「黙っておられた」、と考えることができると思います。

 

マタイの福音書13章13節は、次のようになっています。
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13節
わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。
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「彼ら」というのは、13章2節の、「・・・大ぜいの群衆・・・」のこと、と言うことができると思います。

 

「彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないから」、「わたし(すなわち、イエス)」は「彼ら」にたとえで話す、という文脈になります。

 

マタイの福音書26章63節(上記冒頭)で、イエスが黙っておられたので、大祭司はイエスに、「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」(マタイ26:63、上記冒頭)と言いました。

 

これに対してイエスは、「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」と言われました。

 

「あなたの言うとおりです」とイエスは言われたので、イエスはご自分が「神の子キリスト」であることを、お認めになった、と言うことができると思います。

 

この場合、イエスは『偽証』したのでしょうか。

 

ご自分が「神の子キリスト」ではないのに、「神の子キリスト」であると言われたのでしょうか。

 

もし「神の子キリスト」ではないのに、「神の子キリスト」であると言われたとすると、その場合は、『偽証』した、ということになります。

 

その5、に続きます。