「死刑」について その3

新改訳聖書』第3版のヨハネ福音書2章19節(その1中ほど、もしくは後半)2行目の、「三日でそれを建てよう」や、「三日の**うちに(あるいは、後に)建て直せる」(マタイ26:61、その2冒頭)というのは、イエスが三日目によみがえることを言われたものです。

 

ヨハネ福音書2章22節に、次のように書かれています。
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22節
それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とエスが言われたことばとを信じた。
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1行目から、「それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして・・・信じた。」とあります。

 

「このように言われたこと」というのは、ヨハネ福音書2章19節(その1中ほど、もしくは後半)の、「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう」のこと、と言うことができると思います。

 

そしてその場合、「この神殿」というのは、「ご自分のからだの神殿のこと」(ヨハネ2:21、その1中ほど、もしくは後半)を言われた、ということです。

 

つまり、「三日でそれを建てよう」というのは、「イエスが死人の中からよみがえられ」(ヨハネ2:22、上記)ることを言われた、ということです。

 

そしてイエスは、ご自身のことを『神殿』と言われたのです。

 

「神殿」については、「死刑」について、とは別の話題として述べようかと思います。 

 

マタイの福音書26章61節(その2冒頭)で、最後にふたりの者が言ったことに対して大祭司は、「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」(26章62節、その1冒頭)と言いました。

 

そのふたりの者は、イエスが『偽り』を言った、ということを示したかったのではないかと思われます。

 

最後のふたりの偽証者たちは、イエスが言われた『神の神殿』を、「建てるのに四十六年かか」(ヨハネ2:20、その1中ほどもしくは後半)ったと言われている『建物』の神殿と考えたために、「三日の**うちに(あるいは、後に)建て直せる」はずはないと思い、イエスが『偽り』を言ったのだと思った、と考えられます。

 

エスが『建物』の神殿のことを言われたのであれば、イエスは『偽り』を言ったということになると思います。

 

マタイの福音書26章62節(その1冒頭、および、その2中ほどもしくは後半)に、次のように書かれています。
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62節
そこで、大祭司は立ち上がってイエスに言った。「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」
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大祭司は、最後にふたりの者が言ったことを、「不利な証言」と言っています。

 

大祭司もやはり、「その2」後半で述べたように、「神殿」というのは『建物』の神殿のことだと思ったのです。

 

つまり、ユダヤ人たちや大祭司は、イエスが言われた『神の神殿』を、『建物』の神殿のことだと考えるという『思い違い』をした、ということです。

 

ヨハネ福音書2章22節(上記)の記述から、イエスが言われたことは『偽り』ではなかった、と言うことができると思います。

 

また、「これはどうなのですか」(マタイ26:62、上記)と問いただされたとき、イエスは「黙っておられ」(マタイ26:63、その4冒頭)ました。

 

「黙っておられ」たのは、それについて説明しても、大祭司は「聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないから」(マタイ13:13)ではないでしょうか。

 

その4、に続きます。