『新改訳聖書』第3版のヨハネの福音書18章33節と37節の記述、およびマタイの福音書27章11節の記述から、イエスはご自分が『ユダヤ人の王』であることを、お認めになっている、と言うことができると思います。
お認めになっているのですが、ヨハネの福音書18章33節と37節(いずれも、その1)の間の、18章34節から36節までに、次のように書かれています。
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34節
イエスは答えられた。「あなたは、自分でそのことを言っているのですか。それともほかの人が、あなたにわたしのことを話したのですか。」
35節
ピラトは答えた。「私はユダヤ人ではないでしょう。あなたの同国人と祭司長たちが、あなたを私に引き渡したのです。あなたは何をしたのですか。」
36節
イエスは答えられた。「わたしの国は*この世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」
* あるいは「この世から出たものではありません」
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36節に、『・・・「わたしの国は*この世のものではありません(あるいは、この世から出たものではありません)。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。』とあります。
36節1行目から、「・・・わたしの国は*この世のものではありません(あるいは、この世から出たものではありません)。・・・」とあり、同節4行目から、「・・・事実、わたしの国はこの世のものではありません。」とあります。
イエスは、「わたしの国は*この世のものではありません(あるいは、この世から出たものではありません)」と言われています。
つまり、イエスは、ご自分が『ユダヤ人の王』であることをお認めになっているのですが、その場合、イエスが『ユダヤ人の王』であるのは、『わたしの国』でのことである、ということではないでしょうか。
そしてその場合の、『わたしの国』というのは、「この世のものではありません(あるいは、この世から出たものではありません)」、と言われている国のこと、です。
「この世のものでは」ない『わたしの国』というのは、当時『地上にあった』ユダヤ人の国のことではなく、「あなた(すなわち、イエス)の同国人と祭司長たち」(ヨハネ18:35、上記)がいる国のことではない、と言うことができると思います。
それは、『真理に属する者』(ヨハネ18:37、その1前半)たちの国のことである、と思います。
「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです」(ヨハネ18:37、その1前半)や、「そのとおりです」(マタイ27:11、その1後半)と言われて、イエスは、ご自分が『ユダヤ人の王』であることをピラトに知らせました。
しかし、ピラトはそれがどのような意味を持つのか、理解できなかったのではないかと思います。
ヨハネの福音書18章38節に、次のように書かれています。
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38節
ピラトはイエスに言った。「真理とは何ですか。」
彼はこう言ってから、またユダヤ人たちのところに出て行って、彼らに言った。「私は、あの人には*罪を認めません。」
* あるいは「有罪とする理由」
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ピラトはイエスに、「真理とは何ですか」(1行目)、と聞いています。
ピラトには、『真理』が何であるか、分からなかったのです。
以上、『ユダヤ人の王』について述べました。