「死刑」について その2

新改訳聖書』第3版のマタイの福音書26章60節と61節(いずれも、その1冒頭)に、次のように書かれています。
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60節
偽証者がたくさん出て来たが、証拠はつかめなかった。しかし、最後にふたりの者が進み出て、
61節
言った。「この人は、『わたしは神の*神殿をこわして、それを三日の**うちに建て直せる』と言いました。」

 

* あるいは「聖所」
** あるいは「後に」

 

***

 

61節に、「・・・この人は、『わたしは神の*神殿(あるいは、聖所)をこわして、それを三日の**うちに(あるいは、後に)建て直せる』と言いました。」とあります。

 

これは、最後にふたりの者が言った言葉です。

 

「最後にふたりの者が・・・言った」の「ふたりの者」というのは、「偽証者がたくさん出て来た」うちの「最後」の「ふたりの者」と読むことができるので、「偽証者」である、と言うことができると思います。上記冒頭60節をご参照ください。

 

そのふたりの者は、「建てるのに四十六年かか」(ヨハネ2:20、その1中ほどもしくは後半)ったと言われている神殿を、三日で建てることなどできない、と考えたに違いありません。

 

しかし、「その1」後半で見たように、イエスが言われた『神の神殿』(ヨハネ福音書2章19節では「この神殿」、その1中ほどもしくは後半)というのは、『建物』の神殿のことではなく、ご自分の『からだ』の神殿のことです。

 

マタイの福音書26章62節(その1冒頭)に、次のように書かれています。
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62節
そこで、大祭司は立ち上がってイエスに言った。「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」
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大祭司はイエスに、「この人たちが、あなたに不利な証言をしています」(2行目から)、と言いました。

 

『不利な証言』、と言っています。

 

つまり大祭司もまた、イエスが言われた『神の神殿』というのは、イエスご自身の『からだの神殿』のことである、というのを理解していない、ということです。

 

『からだの神殿』のことであれば、「三日の**うちに(あるいは、後に)建て直せる」というのはあり得ることである、と考えることができると思います。

 

あり得ることではあるが、それを理解することは、大祭司には全くできないことだったと思います。

 

実際、『不利な証言』と言っているので、理解していないのです。

 

『神の神殿』がイエスご自身の『からだの神殿』を意味している、ということは、大祭司には思いもよらないことだったと思います。

 

大祭司は、イエスが言われた『神の神殿』を『建物』の神殿と考えたと言うことができると思いますが、同じように、最後のふたりの偽証者たちも、『建物』の神殿のことだと思って言ったに違いありません。

 

その3、に続きます。