「神殿」について その21

新改訳聖書』第3版のレビ記26章11節と12節(いずれも、その20前半)に、次のように書かれています。
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11節
わたしはあなたがたの間にわたしの住まいを建てよう。わたしはあなたがたを忌みきらわない。
12節
わたしはあなたがたの間を歩もう。わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。
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これらの節の「あなたがた」というのは、レビ記25章2節のイスラエル人」のことと考えられます。

 

この「イスラエル人」は、エジプトを出て来たイスラエルの民である、と言うことができると思います。

 

レビ記25章1節と2節に、次のように書かれています。
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1節
ついでシナイ山モーセに告げて仰せられた。
2節
イスラエル人に告げて言え。
 わたしが与えようとしている地にあなたがたが入ったとき、その地はの安息を守らなければならない。
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1節に、「ついでは『シナイ山で』モーセに告げて仰せられた。」とあります。

 

モーセは『シナイ山』にいる、ということが分かります。

 

ということはつまり、エジプトを出て来たイスラエルの民はシナイの荒野(あらの)にいる、ということです。

 

2節に、「イスラエル人に告げて言え。わたしが与えようとしている地にあなたがたが入ったとき、・・・」とあります。

 

このことばから、「あなたがた」は「わたしが与えようとしている地に・・・入」ろうとしている、と言うことができます。

 

この「あなたがた」というのは、「イスラエル人に告げて言え。・・・」(2節)の「イスラエル人」のこと、と言うことができると思います。

 

そしてこの「イスラエル人」というのは、エジプトを出て来たイスラエルの民のこと、と言うことができます。

 

上記レビ記25章2節のその「あなたがた」が、レビ記26章11節と12節(いずれも、上記冒頭)まで続いていると思われます。

 

レビ記26章11節と12節(いずれも、上記冒頭)の「あなたがた」というのは、レビ記25章2節の「イスラエル人」のことであり、エジプトを出て来たイスラエルの民のことであると考えられます。

 

レビ記26章3節(その20終わりのほう)で、「もし、あなたがたがわたしのおきてに従って歩み、わたしの命令を守り、それらを行うなら、」と言われているのですが、エレミヤ書次のように言われています。

 

エレミヤ書7章22節から24節までに、次のように書かれています。
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22節
わたしは、あなたがたの先祖をエジプトの国から連れ出したとき、全焼のいけにえや、ほかのいけにえについては何も語らず、命じもしなかった。
23節
ただ、次のことを彼らに命じて言った。『わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしは、あなたがたの神となり、あなたがたは、わたしの民となる。あなたがたをしあわせにするために、わたしが命じるすべての道を歩め。』
24節
しかし、彼らは聞かず、耳を傾けず、悪いかたくなな心のはかりごとのままに歩み、前進するどころか後退した。
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23節に、「・・・わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしは、あなたがたの神となり、あなたがたは、わたしの民となる。・・・」とあるのですが、24節に、「しかし、彼らは聞かず、耳を傾けず、悪いかたくなな心のはかりごとのままに歩み、前進するどころか後退した。」とあります。

 

23節と24節に書かれていることは、22節の記述から、「あなたがたの先祖をエジプトの国から連れ出したとき」のことである、と言うことができます。

 

つまり、エジプトを出て来たイスラエルの民である「あなたがた」は、「わたしのおきてに従って歩み、わたしの命令を守り、それらを行う」(レビ記26章3節)ことはなかった、ということです。

 

当時のイスラエルの民は、『肉にある者』(ローマ8:8)だったからである、と考えられます。

 

その22、に続きます。