「懲らしめ」について その5

新改訳聖書』第3版のレビ記26章33節に、次のように書かれています。
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33節
わたしはあなたがたを国々の間に散らし、剣を抜いてあなたがたのあとを追おう。あなたがたの地は荒れ果て、あなたがたの町々は廃墟となる。
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1行目から、「わたしはあなたがたを国々の間に散らし、『剣』を抜いてあなたがたのあとを追おう。・・・」とあります。

 

レビ記26章29節から33節まで(その4、中ほど)に書かれていることは、「あなたがたの罪に対して七倍も重くあなたがたを懲らしめよう」(28節、その4冒頭)、の『懲らしめ』であると思われます。

 

その『懲らしめ』の一つは、33節(上記冒頭)の記述より、『剣』による『懲らしめ』である、と言うことができると思います。

 

また、33節(上記冒頭)2行目から、「・・・あなたがたの地は荒れ果て、あなたがたの町々は『廃墟』となる。」とあります。

 

26章31節(その4、中ほど)には、「わたしはあなたがたの町々を『廃墟』とし、あなたがたの聖所を荒れ果てさせる。・・・」とあります。

 

レビ記26章31節(その4、中ほど)と33節(上記冒頭)に、『廃墟』についての記述があります。

 

『廃墟』についての記述は、「あなたがたの罪に対して七倍も重くあなたがたを懲らしめよう」(28節、その4冒頭)と語られた後にあります。

 

それ以前にはありません。

 

18節に「懲らしめる」という言葉があり、28節には「懲らしめよう」という言葉があります。

 

18節以降33節までは、主(おも)に『懲らしめ』について書かれている、と言うことができると思います。

 

そしてその『懲らしめ』のうちの最後に、『廃墟』についての記述があります。

 

18節以降33節まで、『懲らしめ』が何度かあると思われますが、29節から33節まで(その4、中ほど)に書かれていることは、その何度かある『懲らしめ』のうちの最後である、と言うことができると思います。

 

その、『懲らしめ』の最後で、「わたしはあなたがたを国々の間に散らし、剣を抜いてあなたがたのあとを追おう」、ということが言われています。

 

「あなたがたの地は荒れ果て、あなたがたの町々は廃墟とな」(33節、上記冒頭)ってから以降は、「あなたがたの町々」には、住民はいなくなるのではないかと思われます。

 

エレミヤ書25章11節に、次のように書かれています。
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11節
この国は全部、廃墟となって荒れ果て、これらの国々はバビロンの王に七十年仕える。
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1行目から、「この国は全部、『廃墟』となって荒れ果て・・・る。」とあります。

 

「この国」というのは、エレミヤ書25章1節と2節の記述から、「ユダの国」のことと考えられます。

 

「この国(すなわち、ユダの国)は『全部』、廃墟とな」る、ということですから、そうすると当然、エルサレムも『廃墟』になる、と考えられます。

 

レビ記26章31節(その4、中ほど)と33節(上記冒頭)に、「あなたがたの町々」が『廃墟』となることについて書かれています。

 

レビ記26章33節(上記冒頭)に、「あなたがたの地は荒れ果て、あなたがたの町々は廃墟となる」とあり、エレミヤ書5章11節(上記)には、「この国は全部、廃墟となって荒れ果て・・・る」、とあります。

 

「廃墟となる」ということと、「荒れ果てる」ということに関しては、レビ記エレミヤ書は同じである、と言うことができます。

 

レビ記の、「あなたがたの町々」の中には、『エルサレム』が含まれている、と考えることはできないでしょうか。

 

レビ記の「あなたがたの町々」の中に、『エルサレム』が含まれている、と考えることはできると思います。

 

レビ記の「あなたがたの町々」の中に、『エルサレム』が含まれているとすると、レビ記26章31節と33節の『廃墟』についての記述と、エレミヤ書25章11節の『廃墟』についての記述は、同じときのことではないか、という考えが浮かびます。

 

その6、に続きます。