「神殿」について その20

新改訳聖書』第3版のエゼキエル書37章12節(その18冒頭)と、同章21節(その18中ほど)との共通点、およびエゼキエル書37章14節(その19冒頭)と、同章25節(その19後半)とが似ている点より、12節と14節の「あなたがた」すなわち『わたしの民』と、21節から25節までの「彼ら」、すなわち、21節(その18中ほど)2行目の『イスラエル人』とは、『同じ者たち』ではないかと思われます。

 

仮に『同じ者たち』だとすると、21節(その18中ほど)2行目の『イスラエル人』というのは、「墓から引き上げ」(12節と13節)られ、「生き返」(14節)った『わたしの民』のことである、ということになります。

 

つまり、「わたし」すなわち「神である主」(19節)は、「墓から引き上げ」(12節と13節)られ、「生き返」(14節)った『イスラエル人』を「彼らの地に連れて行(い)く」(21節)、ということです。

 

以上、エゼキエル書37章21節(その8冒頭、およびその18中ほど)2行目の、「イスラエル人」について述べて来ました。「その16」冒頭をご参照ください。

 

非常に複雑な感じがします。

 

実は、まだまだあるのですが、本題の「神殿」から離れてゆくので、エゼキエル書37章21節(その8冒頭、およびその18中ほど)2行目の「イスラエル人」については、後でまた述べようかと思います。

 

本題の「神殿」に戻ります。

 

新改訳聖書』第3版のレビ記26章11節と12節に、次のように書かれています。
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11節
わたしはあなたがたの間にわたしの住まいを建てよう。わたしはあなたがたを忌みきらわない。
12節
わたしはあなたがたの間を歩もう。わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。
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これと似たようなことが、コリント人への手紙 第二に書かれています。

 

コリント人への手紙 第二6章16節(その4中ほど)に、次のように書かれています。
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16節
神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。
 「わたしは彼らの間に住み、また歩む。
 わたしは彼らの神となり、
 彼らはわたしの民となる。
***

 

「わたしはあなたがたの間にわたしの住まいを建てよう」(上レビ記26章11節)が、「わたしは彼らの間に住・・・む」(コリント人への手紙 第二)と似ています。

 

また、「わたしはあなたがたの間を歩もう」(上記レビ記26章12節)が、「わたしは彼らの間に・・・歩む」(コリント人への手紙 第二)と似ています。

 

また、「わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる」(上記レビ記26章12節)が、「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」(コリント人への手紙 第二)と似ています。

 

レビ記26章11節と12節の場合には、「条件」があります。

 

レビ記26章3節に書かれている「条件」を満たすなら、11節と12節に書かれているようになる、ということです。

 

レビ記26章3節は、次のようになっています。
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3節
もし、あなたがたがわたしのおきてに従って歩み、わたしの命令を守り、それらを行うなら、
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つまり、「もし、あなたがたがわたしのおきてに従って歩み、わたしの命令を守り、それらを行うなら」、「わたしはあなたがたの間にわたしの住まいを建て」(26章11節)、「わたしはあなたがたの間を歩」(26章12節)み、「わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる」(26章12節)、ということです。

 

その21、に続きます。