「神殿」について その4

新改訳聖書』第3版のエペソ人への手紙2章22節(その2冒頭)に、次のように書かれています。
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22節
このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊(みたま)によって神の御(み)住まいとなるのです。
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1行目から、「『このキリストにあって』、あなたがたもともに建てられ・・・るのです。」とあります。

 

つまり、『キリストにある』者たちがともに建てられる、ということだと思います。

 

使徒預言者という土台の上に」(エペソ2:20、その2冒頭)、です。

 

また、「・・・御霊(みたま)によって神の御(み)住まいとなるのです。」とあります。

 

「『神の御(み)住まい』となる」、というのは、どういうことでしょうか。

 

それは、『あなたがた』が『神の御(み)住まい』となる、ということなので、神が『あなたがた』の中に『住まわれる』、ということです。

 

コリント人への手紙 第二6章16節に、次のように書かれています。
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16節
神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。
 「わたしは彼らの間に住み、また歩む。
 わたしは彼らの神となり、
 彼らはわたしの民となる。
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1行目から、「・・・私たちは生ける神の『宮』なのです。・・・」とあります。

 

「私たち」というのは、『キリストにある者』のこと、と考えられます。

 

「私たちは生ける神の『宮』」である、ということが言われています。

 

続けて、2行目から、『・・・神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。・・・』とあります。

 

「わたしは彼らの間に住・・・む」、つまり、『神』は彼らの間に『住む』、ということです。

 

「彼ら」というのが何を指しているのか明確ではありませんが、「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(上記16節4行目と最後の行)という言葉がヒントになると思います。

 

「わたしは彼らの間に住・・・む」(上記16節3行目)は、「あなたがたも・・・神の御(み)住まいとなる」(エペソ2:22、上記冒頭)と同じことを言っていると考えられます。

 

つまり、神は『キリストにある者』の中に『住まわれる』、ということです。

 

その5、に続きます。