「右の座」について その4

新改訳聖書』第3版のエペソ人への手紙1章20節と21節(いずれも、その2前半)に、次のように書かれています。
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20節
神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、
21節
すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。
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20節に、「神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、・・・」とあります。

 

この言葉から、神には、『全能の力』がある、と言うことができます。

 

『力ある方』というのは、この『全能の力』がある『神』のことではないでしょうか。

 

エペソ人への手紙1章19節に、次のように書かれています。
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19節
また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。
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1行目に、「・・・『神の全能の力』の働きによって・・・」とあり、1行目から、「・・・私たち信じる者に働く『神のすぐれた力』がどのように偉大なものであるか・・・」とあります。

 

『神の全能の力』という言葉から、神には『全能の力』がある、ということ、また、『神のすぐれた力』という言葉から、神には『すぐれた力』がある、ということが分かります。

 

エペソ人への手紙3章7節に、次のように書かれています。
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7節
私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物(たまもの)によって、この福音に仕える者とされました。
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1行目から、「私は、『神の力』の働きにより、・・・この福音に仕える者とされました。」とあります。

 

「私」には『神の力』が働いているということ、そして、『神』には『力』がある、ということが分かります。

 

以上見て来たことから、マタイの福音書26章64節(その3後半、及びその1冒頭)の『力ある方』というのは、『神』のことであると考えられます。

 

これ以外には考えられないと思います。

 

その5、に続きます。