「右の座」について その5

「その4」で見たように、マタイの福音書26章64節(その3後半、及びその1冒頭)の『力ある方』というのは、『神』のことであると考えられます。

 

『力ある方』というのが『神』のことであるとすると、その右の座に着く『人の子』というのは、『イエス』のことである、と言うことができます。

 

「その2」で見たように、「神の『右の座』に着」くのは『キリスト・イエス』であり(ローマ人への手紙8章34節、その2冒頭)、また『主イエス』である(マルコの福音書16章19節、その2後半)、と言うことができるからです。

 

以上述べて来たことから、マタイの福音書26章64節(その3後半、及びその1冒頭)2行目からの、「・・・人の子が、力ある方の『右の座』に着き・・・ます」と言われている『人の子』というのは、『イエス』のことである、と考えられます。

 

そして『イエス』が「神の『右の座』に着」かれるのは、「『天』上において」(エペソ1:20、その2前半)であり、また、「『天』に上げられて」(マルコ16:19、その2後半)からのことである、と言うことができます。

 

『人の子』すなわち『イエス』は、『天』で「神の『右の座』に着」かれるので、来られるときは、「『天の』雲に乗って来る」(マタイ26:64、その3後半およびその1冒頭)、と言われているのだと思います。

 

いかがでしょうか。どのように思われますか。