「右の座」について その2

新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙8章34節に、次のように書かれています。
***
34節
罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、*よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。

 

* 異本「死人の中よりよみがえられた方」

 

***

 

2行目から、「・・・キリスト・イエスが、神の『右の座』に着き、・・・」とあります。

 

「神の『右の座』に着」くのは、『キリスト・イエス』であることが分かります。

 

エペソ人への手紙1章20節と21節に、次のように書かれています。
***
20節
神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、
21節
すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。
***

 

20節に、「神は、・・・キリストを・・・天上においてご自分の『右の座』に着かせて、」とあります。

 

「ご自分(すなわち、神)の『右の座』に着」いたのは、『キリスト』であることが分かります。

 

「天上において」とあるので、『地上』でのことではない、と言うことができます。

 

コロサイ人への手紙3章1節に、次のように書かれています。
***
1節
こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。
***

 

2行目から、「・・・そこにはキリストが、神の『右の座』を占めておられます。」とあります。

 

「そこには」というのは、その直前の文にある「上に」のことで、「上に」は、のことと言うことができます。

 

「神の『右の座』を占めておられ」るのが、『キリスト』であることが分かります。

 

マルコの福音書16章19節に、次のように書かれています。
***
19節
主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。
***

 

「神の『右の座』に着かれた」のが、『主イエス』であることが分かります。

 

また、「天に上げられて」とあるので、『天』でのことであって、『地上』でのことではない、と言うことができます。

 

以上見て来たように、「神の『右の座』に着かれた」のは、『キリスト』であり、『御子(みこ)』であり、『キリスト・イエス』であり、『主イエス』である、と言うことができると思います。

 

その3、に続きます。