「神殿」について その5

新改訳聖書』第3版のエゼキエル書37章26節から28節までに、次のように書かれています。
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26節
わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。これは彼らとのとこしえの契約となる。わたしは彼らを*かばい、彼らをふやし、わたしの聖所を彼らのうちに永遠に置く。

 

* エゼ一七・一七による
ヘ「与え」

 

27節
わたしの住まいは彼らとともにあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
28節
わたしの聖所が永遠に彼らのうちにあるとき、諸国の民は、わたしがイスラエルを聖別するであることを知ろう。」
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26節2行目から、「・・・わたしは・・・わたしの『聖所』を彼らのうちに永遠に置く。」とあります。

 

また、28節1行目に、「わたしの『聖所』が永遠に彼らのうちにあるとき、・・・」とあります。

 

「わたしは・・・わたしの『聖所』を彼らのうちに永遠に置く」ので、「わたしの『聖所』が永遠に彼らのうちにある」、と言うことができると思います。

 

「わたしの『聖所』」とあります。

 

「聖所」は、幕屋と神殿にあります。

 

ソロモンが神殿を建設してからは、幕屋は使われなくなったと考えられます。

 

26節と28節の「わたしの『聖所』」というのは、ソロモンの神殿の聖所のことでしょうか。

 

あるいは、ソロモンの神殿のような神殿の聖所のことでしょうか。

 

26節には、「わたしの聖所を『彼らのうちに』・・・置く」とあり、28節には、「わたしの聖所が・・・『彼らのうちに』あるとき」、とあります。

 

つまりこの場合、「わたしの『聖所』」は、『彼ら』すなわち『人々』のうちにある、ということです。

 

したがって、26節と28節の「わたしの『聖所』」というのは、ソロモンの神殿のような神殿の聖所のことではない、と言うことができます。

 

ソロモンの神殿、および、ソロモンの神殿のような神殿は、文字通りの建物の神殿であり、『人』ではないからです。

 

また、上記26節に、「・・・わたしは・・・わたしの『聖所』を彼らのうちに『永遠に』置く」とあり、上記28節に、「わたしの『聖所』が『永遠に』彼らのうちにあるとき、・・・」とあります。

 

『永遠に』ということからも、「わたしの『聖所』」というのは、ソロモンの神殿のような神殿の聖所のことではない、と言うことができます。

 

ソロモンの神殿は、『永遠に』存在することはありませんでした。

 

『聖所』は神殿にあるものなので、「わたしの『聖所』」が置かれる『彼ら』というのは、『神殿』のことであると考えられます。

 

『彼ら』というのは、エゼキエル書37章21節の、「・・・イスラエル人・・・」のことと考えられます。

 

この『彼ら』が、『キリストにある者』のことであるのか、それとも、キリストを受け入れなかったイスラエル人のことであるのか、あるいは、その両者であるのかについては、今のところはっきりしていません。

 

21節から25節までの文脈からすると、キリストを受け入れなかったイスラエル人のことであるように思えます。

 

もう一つ可能性があるとすると、キリスト以前の旧約時代のイスラエル人のことが考えられます。

 

この『彼ら』がどのような人々を指すのかについては、引き続き考えます。

 

その6、に続きます。