『新改訳聖書』第3版のエレミヤ書19章5節(その7、前半)と7章31節(その7、後半)に書かれていることは、似ています。
両節に書かれていることは、『悪行(あくぎょう)』と言えると思います。
エレミヤ書19章4節から6節までに、次のように書かれています。
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4節
彼らがわたしを捨ててこの所を見分けがつかないほどにし、この所で、彼らも彼らの先祖も、ユダの王たちも知らなかったほかの神々にいけにえをささげ、この所を罪のない者の血で満たし、
5節
バアルのために自分の子どもたちを全焼のいけにえとして火で焼くため、バアルの高き所を築いたからである。このような事は、わたしが命じたこともなく、語ったこともなく、思いつきもしなかったことだ。
6節
それゆえ、見よ、その日が来る。―主の御(み)告げ―その日には、この所はもはや、トフェテとかベン・ヒノムの谷とか呼ばれない。ただ虐殺の谷と呼ばれる。
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6節2行目から、「・・・この所はもはや、トフェテとかベン・ヒノムの谷とか呼ばれない。・・・」とあります。
この記述より、6節の直前の19章5節に書かれていることは、「トフェテ」または「ベン・ヒノムの谷」でのことであることが分かります。
したがって、「バアルのために自分の子どもたちを全焼のいけにえとして火で焼くため、バアルの高き所を築いた」(上記5節)というのは、「トフェテ」または「ベン・ヒノムの谷」でのことである、ということになります。
「その7」後半の、エレミヤ書7章31節に、「・・・自分の息子、娘を火で焼くために、ベン・ヒノムの谷にあるトフェテに高き所を築いた・・・」とあります。
この、ベン・ヒノムの谷にあるトフェテに築いた「高き所」というのは、「バアルの高き所」(上記19章5節)ということになると思います。
以上述べて来たことから、エレミヤ書19章5節(その7、前半)と7章31節(その7、後半)に書かれていることは、同じ「トフェテ」または「ベン・ヒノムの谷」でのことである、と言うことができます。
両者が似ているのは当然のことである、ということになります。同じ所でのことが書かれているからです。
『悪行(あくぎょう)』については、さらに、エレミヤ書7章30節(その7、後半)2行目から、「・・・彼らは、わたしの名がつけられているこの家に自分たちの忌むべき物を置いて、これを汚(けが)した。」とあります。
これも、『悪行(あくぎょう)』と言えるのではないでしょうか。
「わたしの名がつけられているこの家」(7章30節、その7後半)というのは、「神殿」のことではないかと思います。
もしそうだとすると、「神殿」に「自分たちの忌むべき物」を置く、というのは、たいへんな『悪行(あくぎょう)』だと思います。
聖(きよ)い「神殿」を、「忌むべき物」で汚(けが)すことになるからです。
主が怒りや憤りを燃やされるのは、当然のことではないでしょうか。
その9、に続きます。