「怒り」について その9

これまで、『悪行(あくぎょう)』について、『新改訳聖書第3版のエレミヤ書19章と7章を見て来ました。

 

エレミヤ書7章ではほかに、5節から7節までに、次のように書かれています。
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5節
もし、ほんとうに、あなたがたが行いとわざとを改め、あなたがたの間で公義を行い、
6節
在留異国人、みなしご、やもめをしいたげず、罪のない者の血をこの所で流さず、ほかの神々に従って自分の身にわざわいを招くようなことをしなければ、
7節
わたしはこの所、わたしがあなたがたの先祖に与えたこの地に、とこしえからとこしえまで、あなたがたを住ませよう。
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5節と6節に、「(5節)もし、ほんとうに、あなたがたが行いとわざとを改め、あなたがたの間で公義を行い、(6節)在留異国人、みなしご、やもめをしいたげず、罪のない者の血をこの所で流さず、ほかの神々に従って自分の身にわざわいを招くようなことをしなければ、」とあります。

 

「あなたがた」というのは、2節の、「・・・を礼拝するために、この門に入るすべてのユダの人々・・・」のこと、と言うことができると思います。

 

その「あなたがた」は、6節に書かれているようなことをしているので、「しなければ」と言われているのではないでしょうか。

 

つまり、「あなたがた」は、「在留異国人、みなしご、やもめをしいたげ」ているので、また、「罪のない者の血をこの所で流」しているので、また、「ほかの神々に従って自分の身にわざわいを招くようなことをし」ているので、そのようなことを「しなければ」、と言われているのではないか、ということです。

 

ユダの王エホヤキムは、「罪のない者の血を流す」、ということが言われています。「エホヤキム」について その5(2022-03-14)をご参照ください。

 

エレミヤ書7章9節には、次のように書かれています。
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9節
しかも、あなたがたは盗み、殺し、姦通し、偽って誓い、バアルのためにいけにえを焼き、あなたがたの知らなかったほかの神々に従っている。
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1行目から、「・・・バアルのためにいけにえを焼き、あなたがたの知らなかったほかの神々に従っている。」とあります。

 

「あなたがたの知らなかったほかの神々に従っている」(9節)ので、「ほかの神々に従って自分の身にわざわいを招くようなことをしなければ」(6節)と、言われているのではないかと思います。

 

「あなたがた」は、6節に書かれているようなことをしているので、「しなければ」と言われている(上記)、ということです。

 

6節に書かれているようなことをしているということは、『悪行(あくぎょう)』を行なっている、ということではないでしょうか。

 

9節の、「あなたがたは盗み、殺し、姦通し、偽って誓・・・っている。」というのは、『悪行(あくぎょう)』を行なっている以外の何ものでもない、と思います。

 

以上、『ダビデの家』には、どんな悪行(あくぎょう)があるのかについて見て来ました。

 

これまで見て来た悪行(あくぎょう)は、『ダビデの家』についてだけではなく、「を礼拝するために、この門に入るすべてのユダの人々」(エレミヤ7:2)についても言うことができます。

 

ユダの王たち、ユダの人々が、以上述べて来たような、悪行(あくぎょう)』を行なうので、は、「怒りと、憤りと、激怒とをも」たれる(その5、中ほど)、のではないでしょうか。

 

どのように思われますか。