「怒り」について その5

新改訳聖書』第3版のエレミヤ書21章4節から6節までに、次のように書かれています。
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4節
イスラエルの神、は、こう仰せられる。『見よ。あなたがたは、城壁の外からあなたがたを囲んでいるバビロンの王とカルデヤ人とに向かって戦っているが、わたしは、あなたがたの手にしている武具を取り返して、それをこの町の中に集め、
5節
わたし自身が、伸ばした手と強い腕と、怒りと、憤りと、激怒とをもって、あなたがたと戦い、
6節
この町に住むものは、人間も獣も打ち、彼らはひどい疫病で死ぬ。
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5節に、「わたし自身が、伸ばした手と強い腕と、怒りと、憤りと、激怒とをもって、あなたがたと戦い、」とあります。

 

「あなたがた」というのは、3節の「彼ら」のことで、その「彼ら」というのは、1節の「マルキヤの子パシュフルと、マアセヤの子、祭司ゼパニヤ」のこと、と言うことができると思います。

 

直接的には、その二人ですが、1節や3節と4節の記述から、ゼデキヤ王を含めてもよいと思います。

 

イスラエルの神、は、なぜ、「怒りと、憤りと、激怒とをもって、あなたがた(すなわち、マルキヤの子パシュフルと、マアセヤの子、祭司ゼパニヤ)と戦」うのでしょうか。

 

そもそも、なぜは、「怒りと、憤りと、激怒とをも」たれるのでしょうか。

 

エレミヤ書21章11節と12節に、次のように書かれています。
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11節
  ユダの王家のために―
  「のことばを聞け。
12節
  ダビデの家よ。はこう仰せられる。
  朝ごとに、正しいさばきを行い、
  かすめられている者を、
  しいたげる者の手から救い出せ。
  さもないと、あなたがたの悪行のために、   
  わたしの憤りが火のように燃えて焼き尽くし、
  消す者はいない。」
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12節5行目から、「さもないと、あなたがたの悪行(あくぎょう)のために、わたしの憤りが火のように燃えて焼き尽くし、消す者はいない。」とあります。

 

「さもないと」というのは、「朝ごとに、正しいさばきを行」(12節)なわないと、のこと、また、「かすめられている者を、しいたげる者の手から救い出」(同)さないと、のことと考えられます。

 

12節5行目から、「・・・あなたがたの悪行(あくぎょう)のために、わたしの憤りが火のように燃えて・・・」、とあります。

 

この言葉から、「あなたがたの悪行(あくぎょう)のために、わたしの憤りが・・・燃え」(12節)る、と言うことができます。

 

その6、に続きます。