「暴虐」について その13

新改訳聖書』第3版のエゼキエル書8章17節と18節に、次のように書かれています。
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17節
この方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたはこれを見たか。ユダの家にとって、彼らがここでしているような忌みきらうべきことをするのは、ささいなことだろうか。彼らはこの地を暴虐で満たし、わたしの怒りをいっそう駆り立てている。見よ。彼らはぶどうのつるを自分たちの鼻にさしている。
18節
だから、わたしも憤って事を行う。わたしは惜しまず、あわれまない。彼らがわたしの耳に大声で叫んでも、わたしは彼らの言うことを聞かない。」
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18節1行目に、「・・・わたしも憤って事を行う。・・・」とあります。

 

「わたし」すなわち「」は、なぜ、憤るのでしょうか。

 

17節から18節にかけては、「彼らはこの地を暴虐で満たし、わたしの怒りをいっそう駆り立てている」(17節、3行目から)、「だから、わたしも憤って事を行う」(18節)、という文脈になると思われます。

 

つまり、「彼ら」が「この地を暴虐で満たし、わたしの怒りをいっそう駆り立てている」から、「わたし」は「憤る」、ということです。

 

そして、18節1行目に、「憤って事を行う」、とあります。

 

この、「憤って事を行う」というのは、どのようなことであると考えられるでしょうか。

 

エゼキエル書7章8節と9節に、次のように書かれています。
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8節
今、わたしはただちに、憤りをあなたに注ぎ、あなたへのわたしの怒りを全うする。わたしはあなたの行いにしたがって、あなたをさばき、あなたのすべての忌みきらうべきわざに報いをする。
9節
わたしは惜しまず、あわれまない。わたしがあなたの行いに仕返しをし、あなたのうちの忌みきらうべきわざをあらわにするとき、あなたがたは、わたしがあなたがたを打っているであることを知ろう。
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8節1行目から、「今、わたしはただちに、憤りをあなたに注ぎ、あなたへのわたしの怒りを全うする。・・・」とあり、9節1行目に、「わたしは惜しまず、あわれまない。・・・」とあります。

 

これは、8章18節(上記)の、「・・・わたしも憤って事を行う。わたしは惜しまず、あわれまない。・・・」のことではないかと思われますが、いかがでしょうか。

 

その14、に続きます。