「忌みきらうべきこと」について その1

新改訳聖書』第3版のエゼキエル書8章5節と6節に、次のように書かれています。
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5節
その方は私に仰せられた。「人の子よ。さあ、目を上げて北のほうを見よ。」そこで、私が目を上げて北のほうを見ると、北のほうの祭壇の門の入口にねたみの偶像があった。
6節
この方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたは彼らのしていることが見えるか。イスラエルの家は、わたしの聖所から遠く離れようとして、ここで大きな忌みきらうべきことをしているではないか。あなたはなおまた、大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」
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6節1行目の「彼ら」というのは、「イスラエルの家」(6節2行目)のこと、と言うことができると思います。

 

6節に、二つの「大きな忌みきらうべきこと」という言葉があります。

 

3行目の「大きな忌みきらうべきこと」というのは、5節最後の行の「・・・ねたみの偶像・・・」のことを言っていると考えられます。

 

「ねたみの偶像」を置いた、ということではないかと思われます。

 

あるいは、「ねたみの偶像」を造った、ということや、「ねたみの偶像」を拝んでいる、ということなども含まれているのかもしれません。

 

4行目からの「大きな忌みきらうべきこと」というのは、10節に書かれていること、と言うことができると思います。

 

エゼキエル書8章9節と10節に、次のように書かれています。
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9節
この方は私に仰せられた。「入って行(い)き、彼らがそこでしている悪い忌みきらうべきことを見よ。」
10節
私が入って行って見ると、なんと、はうものや忌むべき獣のあらゆる像や、イスラエルの家のすべての偶像が、回りの壁一面に彫られていた。
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10節1行目から、「・・・はうものや忌むべき獣のあらゆる像や、イスラエルの家のすべての偶像が、回りの壁一面に彫られていた。」とあります。

 

「はうものや忌むべき獣のあらゆる像や、イスラエルの家のすべての偶像」を「回りの壁一面に彫」った、ということが、「彼らがそこでしている悪い忌みきらうべきこと」(9節)ではないかと思います。

 

さらに、エゼキエル書8章13節に、次のように書かれています。
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13節
さらに、私に仰せられた。「あなたはなおまた、彼らが行(おこな)っている大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」
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2行目に、「・・・大きな忌みきらうべきこと・・・」とあります。これは14節に書かれていること、と言うことができます。

 

14節は次のようになっています。
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14節
ついでこの方は私を、の宮の北の門の入口へ連れて行った。するとそこには、女たちがタンムズのために泣きながらすわっていた。
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「女たちがタンムズのために泣きながらすわっていた」、ということが、あるいは、「女たちがタンムズのために泣」いていた、ということが、「大きな忌みきらうべきこと」である、と言うことができると思います。

 

その2、に続きます。