「忌みきらうべきこと」について その2

新改訳聖書』第3版のエゼキエル書8章15節に、次のように書かれています。
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15節
この方は私に仰せられた。「人の子よ。これを見たであろうが、あなたはなおまた、これよりも大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」
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2行目から、「・・・これよりも大きな忌みきらうべきこと・・・」とあります。

 

「これ」というのは、「その1」(2021-12-24)の終わりのほうで見た、14節の、「女たちがタンムズのために泣きながらすわっていた」ということ、あるいは、「女たちがタンムズのために泣」いていたということ、と言うことができると思います。

 

15節2行目からの、「・・・これよりも大きな忌みきらうべきこと・・・」というのは、16節に書かれていること、と言うことができます。

 

16節は次のようになっています。
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16節
そして、この方は私をの宮の内庭に連れて行った。すると、の宮の本堂の入口の玄関と祭壇との間に二十五人ばかりの人がおり、彼らはの宮の本堂に背を向け、顔を東のほうに向けて、東のほうの太陽を拝んでいた。
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3行目からの、「・・・彼ら(すなわち、二十五人ばかりの人)の宮の本堂に背を向け、顔を東のほうに向けて、東のほうの太陽を拝んでいた」、ということが、「これよりも大きな忌みきらうべきこと」(15節)である、と言うことができると思います。

 

これまで述べて来たことをまとめると、エゼキエル書8章に書かれている「忌みきらうべきこと」というのは、

 

①「ねたみの偶像」(5節)を置いた、ということ
②「はうものや忌むべき獣のあらゆる像や、イスラエルの家のすべての偶像」(10節)を、「回りの壁一面に彫」(同)った、ということ
③「女たちがタンムズのために泣きながらすわっていた」(14節)、ということ
④「二十五人ばかりの人」(16節)が「の宮の本堂に背を向け、顔を東のほうに向けて、東のほうの太陽を拝んでいた」(同)、ということ

 

である、と言うことができると思います。

 

この4つに、11節と12節に書かれていることを含めることができるかもしれません。