「律法」について その6

新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙4章15節に、次のように書かれています。
***
15節
律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違反もありません。
***

 

1行目に、「律法は怒りを招くものであり、・・・」とあります。

 

例えば、出エジプト記32章8節から10節までに、次のように書かれています。
***
8節
彼らは早くも、わたしが彼らに命じた道からはずれ、自分たちのために鋳物の子牛を造り、それを伏し拝み、それにいけにえをささげ、『イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上(のぼ)ったあなたの神だ』と言っている。」
9節
はまた、モーセに仰せられた。「わたしはこの民を見た。これは、実にうなじのこわい民だ。
10節
今はただ、わたしのするままにせよ。わたしの怒りが彼らに向かって燃え上がって、わたしが彼らを絶ち滅ぼすためだ。しかし、わたしはあなたを大いなる国民としよう。」
***

 

9節の「・・・うなじのこわい・・・」というのは、「かたくなな」というような意味です。

 

10節1行目から、「・・・わたしの怒りが彼らに向かって燃え上がって、・・・」とあります。

 

出エジプト記24章3節に、『・・・民はみな声を一つにして答えて言った。「の仰せられたことは、みな行います。」』とあり、7節に、『そして、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。すると、彼らは言った。「の仰せられたことはみな行い、聞き従います。」』とあります。

 

つまり、出エジプト記32章8節から10節まで(上記)に書かれていることがあったとき、イスラエルの民は「の仰せられたこと」を聞いている、すなわち、「律法」を聞いている、ということです。

 

出エジプト記20章2節から5節までに、次のように書かれています。
***
2節
「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなた神、である。
3節
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
4節
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。
5節
それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎(とが)を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
***

 

3節に、「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」とあり、4節に、「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。・・・」とあり、5節に、「それらを拝んではならない。・・・」とあります。

 

これらの節に書かれていることは、「の仰せられたこと」(24章3節と7節)であり、イスラエルの民は、その、の仰せられたこと」を聞いていたのです。

 

32章8節に、「彼らは早くも、わたしが彼らに命じた道からはずれ、・・・」とあることからも、イスラエルの民は聞いていた、ということが分かります。

 

さらに、それを聞いて、「みな行います」(24章3節と7節)と言っていたのです。

 

そう言っていたにも関わらず、彼らは、「鋳物の子牛」という「偶像」を造り、それを伏し拝み、『イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上(のぼ)ったあなたの神だ』と言ったのです。上記出エジプト記32章8節をご参照ください。

 

「わたしの怒りが彼らに向かって燃え上がっ」(32章10節)たのは、「の仰せられたこと」、すなわち、「律法」を聞いて、知っていて、それに違反したから、と言うことができると思います。

 

その7、に続きます。