「暴虐」について その12

新改訳聖書』第3版のエゼキエル書8章18節に、次のように書かれています。
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18節
だから、わたしも憤って事を行う。わたしは惜しまず、あわれまない。彼らがわたしの耳に大声で叫んでも、わたしは彼らの言うことを聞かない。」
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1行目に、「・・・わたしも憤って事を行う。・・・」とあります。

 

「彼らはこの地を暴虐で満たし、わたしの怒りをいっそう駆り立てている」(8章17節、その10冒頭)、「だから、わたしも憤って事を行う」、という文脈になると思われます。

 

そして、「わたしは・・・憤りをあなたに注ぎ、あなたへのわたしの怒りを全うする」(7章8節)、ということになるのではないでしょうか。

 

わたしは「その1」(2021-12-14)の下から3段落目で、
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もう少し説明を加えますと、「暴虐が支配する」ようになるから、「今、わたしはただちに、憤りをあなたに注ぎ、あなたへのわたしの怒りを全うする」(7章8節)、そしてその憤りが注がれ、怒りが全うされるので、「この地に住む者」たちはなくなり、「この地に住む者」たちの富もなくなり、「この地に住む者」たちのために嘆く者もいなくなる、ということではないでしょうか。
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と述べました。

 

まとめると、「暴虐」が「わたしの怒り」、「憤り」を招き、その「憤り」が「この地に住む者」(7章7節)たちに注がれて、「彼らも、その群集も、彼らの富もなくなり、彼らのために嘆く者もいなくなる」(7章11節)、となります。

 

また、「わたしは惜しまず、あわれまない」(8章18節、上記冒頭)、とあるので、その「憤り」は、非常に厳しいものである、と言うことができると思います。

 

エゼキエル書7章と8章に書かれていることは、いつの時代のことであると考えられるでしょうか。

 

列王記の時代、ユダの王ゼデキヤの第十一年のことでしょうか。

 

7章15節に、『疫病』という言葉があります。

 

列王記の時代、ユダの王ゼデキヤの第十一年に、『疫病』があった、と言えるでしょうか。

 

どのように思われますか。