「とりこ」について その5

新改訳聖書』第3版の列王記 第二25章18節から21節までに、次のように書かれています。
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18節
侍従長はさらに、祭司のかしらセラヤと次席祭司ゼパニヤと三人の入口を守る者を捕らえ、
19節
戦士の指揮官であったひとりの宦官と、町にいた王の*五人の側近と、一般の人々を徴兵する将軍の書記と、町にいた一般の人々六十人を、町から捕らえ去った。

 

* エレ五二・二五「七人」

 

20節
侍従長ネブザルアダンは彼らを捕らえ、リブラにいるバビロンの王のところへ連れて行(い)った。
21節
バビロンの王は彼らを打ち、ハマテの地のリブラで殺した。こうして、ユダはその国から捕らえ移された。
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18節と19節に書かれている者たちの中には、「彼の回りにいて彼を助ける者たち」(エゼ12:14)に当たる者たちがいるのではないか、と思われます。例えば、19節1行目からの「・・・町にいた王の五人の側近・・・」です。ほかにもいるかもしれません。

 

仮に、これらの節に書かれている者たちの中に、「彼の回りにいて彼を助ける者たち」(エゼ12:14)に当たる者たちがいるとすると、どうなるでしょうか。

 

20節と21節に書かれていることからすると、18節と19節に書かれている者たちは、「リブラにいるバビロンの王のところへ連れて行(い)」かれ、「ハマテの地のリブラで殺」された、ということが分かります。

 

一方、エゼキエル書12章14節では、「わたしはまた、彼の回りにいて彼を助ける者たち・・・を・・・、四方に追い散らし、剣を抜いて彼らのあとを追う。」となっています。

 

「彼の回りにいて彼を助ける者たち」(エゼ12:14)は、「四方に追い散ら」され、剣で「あとを追」われる、と言うことができると思います。

 

そうすると、列王記 第二25章18節と19節に書かれている者たちとは違う、と言うことができるのではないでしょうか。

 

この点で、エゼキエル書12章の、わたしが引用した節に書かれていることは、列王記の時代、ユダの王ゼデキヤの第十一年のことではないのではないか、という疑問が生まれます。

 

どのように思われるでしょうか。

 

まだ結論は出さず、さらに検討を続けようと思います。