『新改訳聖書』第3版のエゼキエル書30章1節から4節までに、次のように書かれています。
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1節
次のような主のことばが私にあった。
2節
「人の子よ。預言して言え。
*神である主はこう仰せられる。
泣きわめけ。ああ、その日よ。
* エゼ三〇・二、六、一〇、一三、二二
「神である主」の「神」の子音字は「主」
3節
その日は近い。主の日は近い。
その日は曇った日、諸国の民の終わりの時だ。
4節
剣がエジプトに下り、
刺し殺される者がエジプトで倒れ、
その富は奪われ、
その基(もとい)がくつがえされるとき、
*クシュには苦痛が起きる。
* 「エチオピア」
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3節に、「その日は近い。主の日は近い。その日は曇った日、諸国の民の終わりの時だ。」とあり、4節に、「剣がエジプトに下り、刺し殺される者がエジプトで倒れ、その富は奪われ、その基(もとい)がくつがえされるとき、クシュには苦痛が起きる。」とあります。
2節からは、「主の日」について書かれていると思われます。
3節の記述から、「主の日」は「諸国の民の終わりの時」である、と言うことができると思います。
その「諸国」の中には、「エジプト」も含まれるのではないでしょうか。
「剣がエジプトに下り、刺し殺される者がエジプトで倒れ、その富は奪われ、その基(もとい)がくつがえされる」(4節)、というのは、「エジプトの民の終わりの時」のことではないでしょうか。
「剣がエジプトに下り、刺し殺される者がエジプトで倒れ・・・る」(4節)、というのは、30章11節(その2前半)3行目からの、「彼らは剣を抜いてエジプトを攻め、その地を刺し殺された者で満たす」、のことではないかと思いますが、いかがでしょうか。
また、「その富は奪われ・・・る」(4節)、というのは、30章10節(その2冒頭)の、「わたしは・・・エジプトの富を取り除く」、のことではないでしょうか。
もしそうだとすると、「剣がエジプトに下り、刺し殺される者がエジプトで倒れ・・・る」(4節)のは、「バビロンの王ネブカデ『レ』ザルと、彼の民」によって、ということになります。
同様に、「その富は奪われ・・・る」(4節)、というのは、「バビロンの王ネブカデ『レ』ザル」によって、ということになります。エゼキエル書30章10節(その2冒頭)をご参照ください。
そうすると、「バビロンの王ネブカデ『レ』ザル」と「彼の民」が「エジプトを『滅ぼす』」(30章11節、その2前半)というのは、「主の日」のことである、と考えられるのです。
いかがでしょうか。どのように思われますか。