「よみ」について その5

新改訳聖書』第3版のエゼキエル書32章26節に、次のように書かれています。
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32章26節
そこには、メシェクとトバルがおり、そのすべての群集もその墓の回りにいる。彼らはみな、割礼を受けていない者、剣で刺し殺された者である。彼らは生ける者の地で恐怖を巻き起こしたからである。
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「そこには」というのは、「穴の奥のほう」には、のことか、あるいは、「その墓の回りに」は、のことと思われます。

 

そのように考えると、1行目からは、「『穴の奥のほうには』、メシェクとトバルがおり、そのすべての群集もその墓の回りにいる。・・・」か、あるいは、「『その墓の回りには』、メシェクとトバルがおり、そのすべての群集もその墓の回りにいる。・・・」となります。

 

2行目からの、「・・・彼らはみな、割礼を受けていない者、剣で刺し殺された者である・・・」という点では、「エラムと「そのすべての群集」(24節と25節)の場合と同じです。

 

「アッシリヤとその全集団」(22節)については、「刺し殺された者、剣に倒れた者たち」、ということは書かれていますが、「割礼を受けていない者」、ということは書かれていません。

 

「メシェクとトバル」および「そのすべての群集」が「剣で刺し殺された者である」という点では、「エラム」と「そのすべての群集」の場合と同じです。

 

また、「エラム」と「そのすべての群集」が「刺し殺された者、剣に倒れた者たちである」という点では、「アッシリヤとその全集団」の場合と同じです。

 

エラム」と「そのすべての群集」については、その両方があります。つまり、「エラム」と「そのすべての群集」は①「刺し殺された者、剣に倒れた者たちである」(24節)、②「剣で刺し殺された者である」(25節)、の両方が書かれています。

 

26節3行目からの、「彼らは生ける者の地で恐怖を巻き起こしたからである。」については、
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彼らは生ける者の地で恐怖を巻き起こしたから、そこには、メシェクとトバルがおり、そのすべての群集もその墓の回りにいる。彼らはみな、割礼を受けていない者、剣で刺し殺された者である。
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という文脈になると思われます。

 

彼らは生ける者の地で恐怖を巻き起こした、とありますが、そのように恐怖を巻き起こしたとすると、なぜ、そこには、メシェクとトバルがおり、そのすべての群集もその墓の回りにいる、ということになるのか、については、「エラム」と「そのすべての群集」の場合と同じように考えてよいと思われます。

 

「その4の4」の後半を、ご参照ください。

 

その6の1、に続きます。