「エジプト」について その1

新改訳聖書』第3版の列王記 第二24章6節と7節に、次のように書かれています。
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6節
エホヤキムは彼の先祖たちとともに眠り、その子エホヤキンが代わって王となった。
7節
エジプトの王は自分の国から再び出て来ることがなかった。バビロンの王が、エジプト川からユーフラテス川に至るまで、エジプトの王に属していた全領土を占領していたからである。
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7節1行目に、「エジプトの王は自分の国から再び出て来ることがなかった。」とあります。続けてその理由が書かれています。「バビロンの王が、エジプト川からユーフラテス川に至るまで、エジプトの王に属していた全領土を占領していたからである。」とあります。

 

「『再び』出て来ることがなかった。・・・」とあります。

 

エレミヤ書37章3節から5節までに、次のように書かれています。
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3節
ゼデキヤ王は、シェレムヤの子エフカルと、マアセヤの子、祭司ゼパニヤを預言者エレミヤのもとに遣わして言った。「どうか、私たちのために、私たちの神、に、祈ってください。」
4節
―そのとき、エレミヤは民のうちに出入りしていて、まだ獄屋に入れられていなかった。
5節
パロの軍勢がエジプトから出て来たので、エルサレムを包囲中のカルデヤ人は、そのうわさを聞いて、エルサレムから退却したときであった。―
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3節に、「ゼデキヤ王は、・・・」とあることから、これらの節に書かれていることは、「ゼデキヤ王」の時代のことである、ということが分かります。

 

5節1行目から、「・・・エルサレムを包囲中のカルデヤ人・・・」とあります。もしこれが列王記の時代のことであるとすると、カルデヤ人がエルサレムを包囲していたのは、「ゼデキヤの治世の第九年、第十の月の十日」(Ⅱ列25:1)から、その第十一年まで(Ⅱ列25:2)のことになります。

 

このとき、エジプトの王は自分の国から出て来たでしょうか。

 

列王記 第二25章21節に、次のように書かれています。
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25章21節
バビロンの王は彼らを打ち、ハマテの地のリブラで殺した。こうして、ユダはその国から捕らえ移された。
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2行目に、「こうして、ユダはその国から捕らえ移された。」とあります。この言葉から、カルデヤ人は、エルサレムだけではなく、『ユダ』をも攻めていた、ということが分かります。

 

『ユダ』にカルデヤ人の軍隊が展開していた、ということが想像されます。バビロンの王は、エジプト川からユーフラテス川に至るまでのうち、『ユダ』を占領していた、と言うことができるのではないでしょうか。

 

ちなみに、「エジプト川」というのは、『新改訳聖書』第3版巻末の「出エジプトの経路」という地図を見ると、「シュルの荒野」(エジプト側)と、「ツィンの荒野」(ユダ側)との間にあります。

 

このとき、バビロンの王は『ユダ』を占領していた、と言うことができるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

 

バビロンの王が『ユダ』を占領していたとすると、列王記 第二24章7節(上記、前半)の記述より、「エジプトの王は自分の国から再び出て来ることがなかった」(Ⅱ列24:7)、と考えられます。

 

そうすると、エレミヤ書37章5節の「パロの軍勢がエジプトから出て来たので、・・・」の「パロの軍勢がエジプトから出て来た」という言葉は、理解できないものとなります。

 

エレミヤ書37章5節等に書かれていることは、列王記のユダの王ゼデキヤの時代のことではない、のではないかと思われるのですが、いかがでしょうか。

 

どのように思われますか。

 

その2、に続きます。