エレミヤ書44章について その2

新改訳聖書』第3版のエレミヤ書44章1節に書かれている、「エジプトの国に住むすべてのユダヤ人、すなわちミグドル、タフパヌヘス、ノフ、およびパテロス地方に住む者たち・・・」が、「わたしがエルサレムとユダのすべての町に下したあのすべてのわざわいを見た。」(2節)ということになります。

 

そしてその2節より、「わたし」は「エルサレムとユダのすべての町」に「あのすべてのわざわい」を下した、ということが分かります。

 

下した結果、「それら(すなわち、エルサレムとユダのすべての町)はきょう、廃墟となって、そこに住む者もない」、ようになった、と言うことができると思います。

 

「それら」のうちの『ユダのすべての町』が「廃墟となって、そこに住む者もない」、という記述から、2節に書かれていることは、列王記の時代、ユダの王ゼデキヤの第十一年のことではない、と言うことができます。

 

そうすると、「あなたがた」は、列王記の時代、ユダの王ゼデキヤの第十一年の時代ではない時代の、「廃墟となって、・・・住む者もない」、というエルサレムとユダのすべての町の状況を見た、ということになります。

 

そうするとどうなるかと言いますと、エレミヤ書44章2節に書かれている「あなたがた」というのは、列王記の時代、ユダの王ゼデキヤの第十一年の時代に生きていた人々ではない、ということになります。

 

『ユダのすべての町』が廃墟となって、そこに住む者もない、というのが、列王記の時代、ユダの王ゼデキヤの第十一年のことではない、ということは、それを見た「あなたがた」は、列王記の時代、ユダの王ゼデキヤの第十一年の時代ではない時代の廃墟を見たのであり、その時代のものではない「あのすべてのわざわい」を見たということになります。

 

つまり、エレミヤ書44章1節の「エジプトの国に住むすべてユダヤ人、すなわちミグドル、タフパヌヘス、ノフ、およびパテロス地方に住む者たち」というのは、列王記の時代、ユダの王ゼデキヤの第十一年の時代の人々ではない、ということになります。

 

いかがでしょうか。どのように思われますか。