「大水」について その4

新改訳聖書』第3版のヨハネの黙示録17章1節に、次のように書かれています。
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1節
また、七つの鉢を持つ七人の御使いのひとりが来て、私に話して、こう言った。「ここに来なさい。大水の上にすわっている大淫婦(だいいんぷ)へのさばきを見せましょう。
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2行目から、「・・・大水の上にすわっている大淫婦(だいいんぷ)・・・」とあります。

 

また、ヨハネの黙示録17章15節に、次のように書かれています。
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15節
御使いはまた私に言った。「あなたが見た水、すなわち淫婦(いんぷ)がすわっている所は、もろもろの民族、群衆、国民、国語です。
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1行目から、「・・・あなたが見た水、すなわち淫婦(いんぷ)がすわっている所は、もろもろの民族、群衆、国民、国語です。」とあります。

 

「あなたが見た水」とは、何でしょうか。「あなた」というのは、イコール「私」のことです。

 

17章1節(上記冒頭)で、「七つの鉢を持つ七人の御使いのひとり」が「私」に、「・・・大水の上にすわっている大淫婦(だいいんぷ)へのさばきを見せましょう。」と言いました。

 

「私(すなわち、あなた)」は「大水」を見た、と言うことができます。その「大水」の上には大淫婦(だいいんぷ)がすわっています。

 

「あなたが見た水」に当たるものは、17章では、この「大水」以外には見当たりません。

 

「あなたが見た水」というのは、「大水」のことと言ってよいと思います。

 

17章15節(上記)の「あなたが見た水」というのは、「大水」のこと、と言うことができます。

 

そうであるとすると、15節の「淫婦(いんぷ)」というのは、1節の「大淫婦(だいいんぷ)」のことになります。

 

「あなたが見た水」(15節)、すなわち、大淫婦(だいいんぷ)がすわっている「大水」(1節)は、17章15節の記述より、「もろもろの民族、群衆、国民、国語」である、と言うことができます。

 

つまり、「大水」は「もろもろの民族、群衆、国民、国語」の『たとえ』である、ということです。

 

このように、ヨハネの黙示録17章では、「大水」は「もろもろの民族、群衆、国民、国語」の『たとえ』として用いられている、と言うことができると思います。

 

その5、に続きます。