わたしは以前、「散らす」について その6(2020-10-08)の終わりから二つ目の段落で、次のように述べました。
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「イスラエルの山々」というのが、ユダに対する「イスラエル」にある山々なのか、それとも、ユダを含む「イスラエルの地」にある山々なのか、という点はありますが、・・・
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と。
これについて、もう少し述べます。
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「イスラエルの山々」というのが、ユダに対する「イスラエル」にある山々なのか、・・・
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というのは、『新改訳聖書』第3版の巻末にある「イスラエルとユダの王国」という地図で言うと、黄色で示されている「イスラエル」にある、例えば、「カルメル山」や「タボル山」や「エバル山」、「ゲリジム山」といった山々のことです。
また、
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・・・それとも、ユダを含む「イスラエルの地」にある山々なのか、・・・
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というのは、黄色で示されている「イスラエル」にある山々に加えて、イスラエルの南に広がる「ユダ」にある山々を含めた山々のことです。
上記の地図にはありませんが、「キリスト時代のパレスチナ」という地図に、「オリーブ山」という山が一つあります。
つまり、「イスラエルの山々」というのは、黄色で示されている「イスラエル」にある山々だけのものなのか、それとも、それに加えて、イスラエルの南に広がる「ユダ」にある山々をも含めたものなのか、ということです。
今述べたことは、「イスラエルの山々」の山々を、文字通りに考えた場合のことです。
「イスラエルの山々」が、何かの「たとえ」だとすると、当然、理解の仕方は変わってきます。
文字通りに考えて、説明がつかないような場合は、何かの「たとえ」ではないか、と考えて、再度、検討しようと思います。
「イスラエルの山々」の山々を文字通りに考えて、「イスラエル」にある山々だけのことだとすると、エゼキエル書6章8節(「散らす」について その1、冒頭)1行目からの「・・・わたしがあなたがたを国々に追い散らす・・・」と言われている「あなたがた」の中には、「ユダ」にある山々の「山や丘、谷川や谷」は含まれない、ということになります。
その場合、「追い散らされる」のは、「イスラエル」の人々だけで、その中に「ユダ」の人々は含まれない、ということになります。
どのように考えたらよいのでしょうか。