「とりこ」について その1

新改訳聖書』第3版のエゼキエル書12章9節から11節までに、次のように書かれています。
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9節
「人の子よ。反逆の家、イスラエルの家は、あなたに、『何をしているのか』と尋ねなかったか。
10節
彼らに言え。『*神である主はこう仰せられる。この宣告は、エルサレムの君主、およびそこにいるイスラエルの全家にかかわるものである。』

 

* エゼ一二・一〇、一九、二三、二五、二八「神」の子音字は「

 

11節
また言え。『私はあなたがたへのしるしである。私がしたようなことが彼らにもなされる。彼らはとりことなって引いて行(い)かれる。
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11節2行目から、「・・・彼らはとりことなって引いて行(い)かれる。」とあります。「彼ら」というのは、10節2行目のエルサレムの君主、およびそこにいるイスラエルの全家・・・」のこと、と考えられます。

 

11節1行目の「あなたがた」というのは、10節の「彼ら」のことであり、その「彼ら」というのは、9節の「・・・反逆の家、イスラエルの家・・・」のこと、と言うことができると思います。

 

また、11節1行目の「私」というのは、「エゼキエル」のことと考えられます。

 

9節1行目の「あなた」というのは、「人の子」のことであり、「人の子」というのは、「エゼキエル」のこと、と言うことができます。

 

11節2行目からの、「・・・彼らはとりことなって引いて行(い)かれる・・・」は、「・・・エルサレムの君主、およびそこにいるイスラエルの全家はとりことなって引いて行(い)かれる・・・」ということである、と考えられます。

 

これは、いつのことでしょうか。いつ、エルサレムの君主、およびそこにいるイスラエルの全家はとりことなって引いて行(い)かれるのでしょうか。

 

すぐに思い浮かぶのは、列王記の時代、ユダの王ゼデキヤの第十一年のことではないか、ということです。

 

そのように考えてよいでしょうか。

 

その2、に続きます。