「墓」について その1

新改訳聖書』第3版の詩篇16篇10節に、次のように書かれています。
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16篇10節
まことに、あなたは、私のたましいを

*よみに捨ておかず、

あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。

 

* →詩六・五*

 

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1行目から、「・・・あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、・・・」とあります。この言葉から、「私のたましい」は、「よみに捨て」られた、ということが分かります。

 

最後の行に、「あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。」とあります。この中の「墓の穴」というのは、何のことだと思われるでしょうか。

 

「あなたの聖徒」というのは誰か、と言いますと、それは「イエス」である、と言うことができると思います。「あなたの聖徒」が誰であるのかについては、わたしの記事、「聖徒」について その1(2020-11-10)、から、その3、までをご参照ください。

 

詩篇16篇10節の「墓の穴」というのは、イエスが納められた「墓」の穴、のことでしょうか。

 

エスが納められたとき、イエスは「墓の穴」を見なかった、と言うことはできると思います。なぜなら、イエスはそのとき死んでいたからです。そういう意味では、「あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。」と言うことはできると思います。

 

しかし、イエスが復活されたときは、どうでしょうか。

 

新改訳聖書』第3版のヨハネ福音書20章4節から7節までに、次のように書かれています。
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4節
ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。
5節
そして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中に入らなかった。
6節
シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓に入り、亜麻布が置いてあって、
7節
エスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。
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5節に、「・・・亜麻布が置いてある・・・」とあり、6節に、「シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓に入り、亜麻布が置いてあって、」とあります。「もうひとりの弟子」は「中に入らなかった」(5節)のですが、シモン・ペテロは「墓に入り」(6節)、その亜麻布を見た、と言うことができると思います。

 

「亜麻布」というのは、ヨハネ福音書19章40節より、イエスのからだに巻かれていたもの、と言うことができると思います。19章40節は、次のようになっています。
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19章40節
そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。
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1行目から、「・・・彼らはイエスのからだを取り、・・・それを・・・亜麻布で巻いた。」とあります。

 

その亜麻布が、墓の中に置かれてあった、ということは、イエスは墓の中で復活された、ということであると考えられます。

 

エスは復活されたとき墓の中にいた、ということになると思います。そうすると、イエスは「墓の穴」を見た、と言うことができるのではないでしょうか。

 

そう考えると、詩篇16篇10節の「墓の穴」というのは、イエスが納められたときの「墓」、の穴のことではないのではないか、と思われるのです。詩篇16篇10節には、「あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません」とあります。それに対して、イエスは復活されたとき「墓の穴」を見た、と考えられるのです。

 

詩篇16篇10節の「墓の穴」が、イエスが納められたときの「墓」の穴ではない、とすると、その「穴」は何の「墓の穴」だと考えられるでしょうか。

 

その2、に続きます。