「神の子ども」について その3

新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙8章17節に、次のように書かれています。
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8章17節
もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。
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「もし子どもであるなら、相続人でもあります。・・・」とあります。「人の」子どもは、「人の」父の財産を相続しますが、「神の」子どもは、「神である」父の財産を相続する、と言うことができると思います。

 

ローマ人への手紙4章13節に、次のように書かれています。
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4章13節
というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいはまた、その子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰の義によったからです。
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「・・・世界の相続人となるという約束が、アブラハムに・・・与えられた・・・」とあります。ここから、アブラハムは世界の相続人になる、と言うことができると思います。この場合、アブラハムは、父であるテラの財産を相続するのではない、ということは明らかです。「世界」はテラの所有物ではなく、また、テラの財産でもないからです。

 

「世界」は『神の』所有物であり、また『神の』財産です。アブラハムが世界の相続人になる、ということは、8章17節より、アブラハムは「神の子ども」にされている、ということだと思います。『神の』財産である「世界」を相続することが約束されているからです。

 

しかし、同じ手紙の8章14節より、「神の子ども」であるには、神の御霊(みたま)に導かれることが必要となります。そして、神の御霊(みたま)に導かれるには、神の御霊(みたま)がその人に授けられている必要があります。

 

アブラハムは、生きている間に、神の御霊(みたま)が授けられていた、と言うことはできるでしょうか。

 

ローマ人への手紙4章1節に、次のように書かれています。
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4章1節
それでは、*肉による私たちの父祖アブラハムの場合は、どうでしょうか。

* 別訳「私たちの先祖アブラハムの肉による場合」

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「・・・『肉による』私たちの父祖アブラハム・・・」とあります。ここから、アブラハムは『肉にある』、ということが言えると思います。言い換えると、アブラハムは「御霊(みたま)の中にいる」(ローマ8:9)のではない、ということです。つまり、アブラハムは、神の御霊(みたま)が授けられることなく死んだ、と言うことができると思いますが、いかがでしょうか。

 

その4、に続きます。