2022-01-01から1年間の記事一覧

「穴」について その5

『新改訳聖書』第3版の詩篇28篇1節と2節に、次のように書かれています。***1節主よ。私はあなたに呼ばわります。私の岩よ。どうか、私に耳を閉じないでください。私に口をつぐまれて、私が、穴に下る者と同じにされないように。2節私の願いの声を…

「穴」について その4

『新改訳聖書』第3版のエゼキエル書32章21節から23節までに、次のように書かれています。***21節勇敢な勇士たちは、その国を助けた者たちとともに、よみの中から語りかける。『降りて来て、剣で刺し殺された者、割礼を受けていない者たちととも…

「穴」について その3

『新改訳聖書』第3版の詩篇30篇3節に、次のように書かれています。***3節主よ。あなたは私のたましいを*よみから引き上げ、私が穴に下って行(い)かないように、私を生かしておかれました。 * →詩六・五* *** 1行目から、「・・・あなたは私…

「ハデス」について その1

『新改訳聖書』第3版の使徒の働き2章27節に、次のように書かれています。***27節 あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、 あなたの聖者が朽ち果てるのを *お許しにならないからである。 * 直訳「与える」 *** また、詩篇16篇10節に…

「よみ」について その20

『新改訳聖書』第3版のコリント人への手紙 第二12章2節(その19冒頭)に、「キリストにあるひとりの人」が「第三の天にまで引き上げられ・・・た」、ということが書かれています。 『引き上げられた』とあるので、よみ(シェオル)に『下る』ことはな…

「よみ」について その19

『新改訳聖書』第3版のコリント人への手紙 第二12章1節から5節までに、次のように書かれています。***1節無益なことですが、誇るのもやむをえないことです。私は主の幻と啓示のことを話しましょう。2節私はキリストにあるひとりの人を知っています…

「よみ」について その18

アブラハムは、「肉にある者」(ローマ8:8、「肉」について その8⦅2022-02-04⦆等)である、ということからすると、アブラハムも何らかの罪を犯したと考えられます。 そうすると、アブラハムは「罪を犯した者」(ヨブ24:19、その15前半)になる…

「よみ」について その17

イエスを信じる信仰を持つ者は、御霊(みたま)または聖霊が与えられることによって、「肉にある者」(ローマ8:8)でなくなる、と言うことができると思います。 ローマ人への手紙8章9節に、次のように書かれています。***9節けれども、もし神の御霊…

「よみ」について その16

『新改訳聖書』第3版の詩篇6篇5節に、次のように書かれています。***5節死にあっては、あなたを覚えることはありません。*よみにあっては、だれが、あなたをほめたたえるでしょう。 * ヘ「シェオル」 *** 3行目から、「*よみ(シェオル)にあ…

「よみ」について その15

『新改訳聖書』第3版の詩篇9篇17節に、次のように書かれています。***17節悪者どもは、*よみに帰って行(い)く。神を忘れたあらゆる国々も。 * →六・五* *** 1行目に、「悪者どもは、*よみに帰って行(い)く。」とあります。 この言葉か…

「よみ」について その14

『新改訳聖書』第3版のイザヤ書14章12節から15節までに、次のように書かれています。***12節 暁の子、明けの明星よ。 どうしてあなたは天から落ちたのか。 国々を打ち破った者よ。 どうしてあなたは地に切り倒されたのか。13節 あなたは心の中…

「よみ」について その13

『新改訳聖書』第3版のイザヤ書14章9節(その12冒頭)に、「下界の*よみ(シェオル)は、あなたの来るのを迎えようとざわめき、死者の霊たち、地のすべての指導者たちを揺り起こし、国々のすべての王を、その王座から立ち上がらせる。」とあります。 …

「よみ」について その12

『新改訳聖書』第3版のイザヤ書14章3節から11節までに、次のように書かれています。***3節主が、あなたの痛み、あなたへの激しい怒りを除き、あなたに負わせた過酷な労役を解いてあなたをいこわせる日に、4節あなたは、バビロンの王について、こ…

「よみ」について その11

『新改訳聖書』第3版のイザヤ書5章11節から14節まで(その10、冒頭)に続いて、15節に、次のように書かれています。***15節 こうして、人はかがめられ、人間は低くされ、 高ぶる者の目も低くされる。*** イザヤ書2章9節から12節までに…

「よみ」について その10

『新改訳聖書』第3版のイザヤ書5章11節から14節までに、次のように書かれています。***11節 ああ。朝早くから強い酒を追い求め、 夜をふかして、ぶどう酒をあおっている者たち。12節 彼らの酒宴には、立琴と十弦の琴、 タンバリンと笛とぶどう…

「復活」について その6

『新改訳聖書』第3版のエゼキエル書37章9節と10節に、次のように書かれています。***9節そのとき、主は仰せられた。「息に預言せよ。人の子よ。預言してその息に言え。神である主はこう仰せられる。息よ。四方から吹いて来い。この殺された者たち…

「復活」について その5

① 「変えられる」ことの「予型」については、「その4」で述べました。 次に、② 「イスラエルの全家」の復活の「予型」(その4中ほど)について述べます。 『新改訳聖書』第3版のエゼキエル書37章1節から6節までに、次のように書かれています。***…

「復活」について その4

『新改訳聖書』第3版のルカの福音書24章39節(その2冒頭)に、次のように書かれています。***39節わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っていま…

「復活」について その3

『新改訳聖書』第3版のルカの福音書24章39節(その2冒頭)と、使徒の働き13章34節(その2中ほど)の記述から、イエスは、『肉や骨』を持ってよみがえられた、と言うことができますが、その『肉や骨』は『朽ちることのない』ものであるのではない…

「復活」について その2

『新改訳聖書』第3版のルカの福音書24章38節と39節に、次のように書かれています。***38節すると、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。39節わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわた…

「神の子」について その4

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書3章16節と17節(いずれも、その2冒頭)に、次のように書かれています。***16節こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊(みたま)が鳩のように下って、…

「神の子」について その3

『新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙8章23節に、次のように書かれています。***23節そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望…

「神の子」について その2

『新改訳聖書』第3版のマタイの福音書3章16節と17節に、次のように書かれています。***16節こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊(みたま)が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご…

「神の子」について その1

『新改訳聖書』第3版の使徒の働き13章32節と33節に、次のように書かれています。***32節私たちは、神が父祖たちに対してなされた約束について、あなたがたに良い知らせをしているのです。33節神は、イエスをよみがえらせ、それによって、*私…

「神」について その3

『新改訳聖書』第3版のコリント人への手紙 第一8章4節から6節までに、次のように書かれています。***4節そういうわけで、偶像にささげた肉を食べることについてですが、私たちは、世の偶像の神は実際にはないものであること、また、唯一の神以外には…

「神」について その2

『新改訳聖書』第3版のピリピ人への手紙2章6節から8節までに、次のように書かれています。***6節キリストは神の御姿(みすがた)である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、7節ご自分を*無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じよう…

「神」について その1

『新改訳聖書』第3版のヨハネの福音書1章1節と2節に、次のように書かれています。***1節初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。2節この方は、初めに神とともにおられた。*** 1節1行目に、「・・・ことばは神…

「肉」について その14

『新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙7章17節(その13、冒頭)と20節(その13、前半)の記述から、『罪』が「『私のうち』に住」んでいる、と言うことができると思います。 また、同章18節に、「・・・私の肉のうちに善が住んでいない・・・」…

「肉」について その13

『新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙7章17節に、次のように書かれています。***17節ですから、それを行(おこな)っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。*** 下の行に、「・・・私のうちに住みついている罪・…

「肉」について その12

『新改訳聖書』第3版のへブル人への手紙10章10節(その11中ほど)に、次のように書かれています。***10節このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。**…