「肉」について その13

新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙7章17節に、次のように書かれています。
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17節
ですから、それを行(おこな)っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。
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下の行に、「・・・私のうちに住みついている罪・・・」とあります。

 

また、同章20節に、次のように書かれています。
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20節
もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行(おこな)っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。
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2行目から、「・・・私のうちに住む罪・・・」とあります。

 

上記17節と20節の記述から、『罪』が「『私のうち』に住」んでいる、と言うことができると思います。

 

同じ章の18節には、次のように書かれています。
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18節
私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。
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1行目から、「私は、私のうち、すなわち、私の『肉のうちに』善が住んでいないのを知っています。・・・」とあります。

 

「『私の肉のうちに』善が住んでいない」ので、「肉の思いは神に対して反抗する」(ローマ8:7、その9冒頭)、ということになるのではないでしょうか。

 

ローマ人への手紙7章25節に、次のように書かれています。
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25節
私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。
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2行目から、「・・・この私は、心では神の律法に仕え、『肉』では『罪』の律法に仕えているのです。」とあります。

 

「私の『肉のうちに』善が住んでいない」(18節、上記)ということが言われており、また、「私は・・・『肉』では『罪』の律法に仕えている」(25節)、ということが言われています。

 

だから、すなわち、「私の『肉のうちに』善が住んでいない」(18節、上記)から、また、「私は・・・『肉』では『罪』の律法に仕えている」(25節)から、肉の思いは「神の律法服従し」(ローマ8:7、その9冒頭)ないのであり、「服従できない」(同)、のではないでしょうか。

 

『肉』は罪深い、ということです。ローマ人への手紙8章3節(その9前半)に、「罪深い肉」という言葉があります。

 

その14、に続きます。