「肉」について その8

すべての人は「肉にある者」(ローマ8:8)である、と言うことができると思います。

 

神の御霊(みたま)が住んでおられる(ローマ8:8)人も、以前は、「肉にある者」でした。

 

「肉の思い」が「神の律法に・・・服従できない」(ローマ8:7)とすると、「肉にある者」は神の律法に違反する、ということになるのではないでしょうか。

 

新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙8章3節に、次のように書かれています。
***
3節
肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子(みこ)を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。
***

 

1行目から、「肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。・・・」とあります。

 

人は「肉にある者」なので、律法が何々しなさいや、何々してはならないと言ったところで、人はそれを守ることができない、のではないでしょうか。

 

「肉にある者」は「肉の思い」を抱くのであり、「肉の思い」は「神の律法に・・・服従できない」(ローマ8:7)と言われているからです。

 

そうであるなら、すべての人は「肉にある者」ですから、すべての人は神の律法を守ることはできない、ということになると思います。

 

「肉によって無力になった」、というのは、肉は人に「肉の思い」を抱かせ、また「肉の思い」は神の律法に服従できないため、人は神の律法を守ることはできない、ということではないでしょうか。

 

つまり、人は『肉である』がゆえに、『罪を犯す』、ということです。

 

いかがでしょうか。