『新改訳聖書』第3版のローマ人への手紙8章7節に、次のように書かれています。
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7節
というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。
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また、同8章3節には、次のように書かれています。
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3節
肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子(みこ)を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。
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1行目から、「肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。・・・」とあります。
「肉によって無力になった」、とありますが、これは、どのようなことであると考えられるでしょうか。
それは、「肉にある者」(ローマ8:8)は「肉の思い」を持つ、ということではないでしょうか。
「肉にある者」(ローマ8:8)は「肉の思い」を持つと思いますが、「肉にある者」(ローマ8:8)は「肉の思い」を持つので、律法は、「肉によって無力にな」る、のではないでしょうか。
つまり、ローマ人への手紙8章7節(上記冒頭)に書かれているように、「肉の思いは神に対して反抗するものだ」ということ、「それ(すなわち、肉の思い)は神の律法に服従し」ないということ、いや、「服従できない」ということ、このようなことがあるために、「律法にはできなくなっていること」がある、ということだと思います。
そしてそれは、すなわち、「律法にはできなくなっていること」があるのは、「肉によって無力になったため」である、ということだと思われます。
そして、「肉によって無力になった」というのは、「肉にある者」(ローマ8:8)は「肉の思い」を持つ、ということではないでしょうか。
「肉の思い」が、ローマ人への手紙8章7節(上記冒頭)に書かれているようなものであるなら、「肉にある者」は、律法を行なうことはできない、ということになります。
ローマ人への手紙8章7節(上記冒頭)では、「肉の思い」は「神の律法に服従し」ない、いや、「服従できない」、と言われているからです。
「神の律法」に「服従できない」のであれば、「神の律法」に違反する、ということになります。
そして、8章3節(上記)では、律法は「肉によって無力になった」ので、「律法にはできなくなっていること」がある、ということが言われていると思います。
では、「律法にはできなくなっていること」、というのは、どのようなことであると考えられるでしょうか。
その10、に続きます。