『新改訳聖書』第3版の詩篇6篇5節に、次のように書かれています。
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5節
死にあっては、
あなたを覚えることはありません。
*よみにあっては、
だれが、あなたをほめたたえるでしょう。
* ヘ「シェオル」
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3行目から、「*よみ(シェオル)にあっては、だれが、あなたをほめたたえるでしょう。」とあります。
これは、よみ(シェオル)にあっては、だれも、あなたをほめたたえません、ということを意味していると思います。
「あなた」というのは、6篇4節より、「主」のこと、と言うことができます。
この5節の言葉からすると、例えば、アブラハムがよみ(シェオル)にいるなら、アブラハムは「あなた(すなわち、主)をほめたたえるでしょう」か、いや、「ほめたたえません」、ということになると思います。
また、詩篇9篇17節(その15冒頭)の、「悪者どもは、*よみ(シェオル)に帰って行(い)く」という言葉から、「よみ(シェオル)に・・・行(い)く」のは、「悪者」である、と言うことができます。
そうすると、アブラハムがよみ(シェオル)にいるなら、アブラハムは「悪者」である、ということになります。
そのように言ってよいのでしょうか。
アブラハムが「悪者」でないなら、アブラハムはよみ(シェオル)に行(い)くことはないのではないか、という考えが浮かびます。
また、アブラハムが主をほめたたえる者であるとするなら、アブラハムはよみ(シェオル)に行(い)くことはないのではないか、という考えが浮かびます。
ヨブ記24章19節(その15前半)2行目の、「*よみ(シェオル)は罪を犯した者を奪う」、という言葉から、「よみ(シェオル)に・・・行(い)く」のは、「罪を犯した者」である、と考えられます。
ローマ人への手紙4章1節の記述より、アブラハムは「肉にある者」(ローマ8:8、「肉」について その8⦅2022-02-04⦆等)であった、と考えられます。
ローマ人への手紙4章1節は、次のようになっています。
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1節
それでは、*肉による私たちの父祖アブラハムの場合は、どうでしょうか。
* 別訳「私たちの先祖アブラハムの肉による場合」
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1行目に、「・・・*『肉による』私たちの父祖アブラハム・・・」とあります。
その17、に続きます。