「よみ」について その11

新改訳聖書』第3版のイザヤ書5章11節から14節まで(その10、冒頭)に続いて、15節に、次のように書かれています。
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15節
  こうして、人はかがめられ、人間は低くされ、
  高ぶる者の目も低くされる。
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イザヤ書2章9節から12節までに、次のように書かれています。
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9節
  こうして人はかがめられ、人間は低くされた。
  ―彼らをお赦しにならないように。―
10節
  岩の間に入り、
  ちりの中に身を隠せ。
  の恐るべき御顔を避け、
  そのご威光の輝きを避けて。
11節
  その日には、高ぶる者の目も低くされ、
  高慢な者もかがめられ、
  おひとりだけが高められる。
12節
  まことに、万軍のの日は、
  すべてのおごり高ぶる者、すべて誇る者に
  襲いかかり、これを低くする。
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9節に、「こうして人はかがめられ、人間は低くされた。・・・」とあります。

 

イザヤ書5章15節(上記冒頭)の、「こうして、人はかがめられ、人間は低くされ・・・る。」とほぼ同じです。

 

最後の文字、『た』(2章9節)と『る』(5章15節)が違うだけです。

 

2章9節はすでに起きたこととして、また、5章15節はこれから起こることとして語られている、と言うことができると思います。

 

11節に、「その日には、高ぶる者の目も低くされ、高慢な者もかがめられ、・・・」とあり、12節に、「まことに、万軍の日は、すべてのおごり高ぶる者、すべて誇る者に襲いかかり、これを低くする。」とあります。

 

11節の「その日」というのは、12節の「万軍のの日」のことと考えられます。

 

「万軍のの日」には、「すべてのおごり高ぶる者、すべて誇る者」が「低くされる」、と言うことができると思います。

 

9節の、「こうして・・・人間は低くされた」というのは、人間が「おごり高ぶ」っているので、つまり、「高くなっている」ので、『低くされた』、ということだと思います。

 

つまり、9節の「こうして・・・人間は低くされた」というのは、『万軍のの日』のことではないか、ということです。

 

9節の「こうして・・・人間は低くされた」というのが、『万軍のの日』のことだとすると、5章15節(上記冒頭)の、「こうして、人はかがめられ、人間は低くされ・・・る」というのも、『万軍のの日』のことではないか、と考えられます。

 

つまり、イザヤ書5章14節(その10、冒頭)の、「それゆえ、*よみ(シェオル)は、のどを広げ、口を限りなくあける。その威光も、その騒音も、そのどよめきも、そこでの歓声も、よみに落ち込む」、というのは、『万軍のの日』のことではないか、ということです。

 

いかがでしょうか。