『新改訳聖書』第3版のイザヤ書2章12節に、次のように書かれています。
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12節
まことに、万軍の主の日は、
すべてのおごり高ぶる者、すべて誇る者に
襲いかかり、これを低くする。
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1行目に、「・・・万軍の主の日・・・」とあります。
また同書2章11節には、次のように書かれています。
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11節
その日には、高ぶる者の目も低くされ、
高慢な者もかがめられ、
主おひとりだけが高められる。
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1行目冒頭に、「その日には、・・・」とあります。
「その日には」というのは、2章10節(その1、冒頭)の、「主の恐るべき御顔を避け、そのご威光の輝きを避けて」、「岩の間に入り、ちりの中に身を隠」す日には、のことと考えられます。
この「その日」というのは、「万軍の主の日」(12節、上記冒頭)のことである、と言うことができると思います。
11節に、「その日には、高ぶる者の目も低くされ、高慢な者もかがめられ・・・る」とあり、12節に、「万軍の主の日は、すべてのおごり高ぶる者、すべて誇る者に襲いかかり、これを低くする」、とあります。
「その日に」(11節)あることと、「万軍の主の日」(12節)にあることとがよく似ています。
よく似ているということから、「その日」と「万軍の主の日」というのは、同じときのことではないか、という考えが浮かびます。
11節の「その日に」あること、あるいは、起こることというのは、もちろん、11節に書かれていることですが、それだけではなく、10節(その1、冒頭)の、「主の恐るべき御顔を避け、そのご威光の輝きを避けて」、「岩の間に入り、ちりの中に身を隠」すことでもある、と言うことができると思います。
「その日には」(11節)というのは、2章10節(その1、冒頭)の、「主の恐るべき御顔を避け、そのご威光の輝きを避けて」、「岩の間に入り、ちりの中に身を隠」す日には、のことであると考えられるからです。
「その日」(11節、上記)と「万軍の主の日」(12節、上記冒頭)とが、同じときのことであるとすると、イザヤ書2章19節(その1前半)と21節(その1中ほど)に書かれていることもまた、「万軍の主の日」のことである、と言うことができると思います。
イザヤ書2章19節(その1前半)と21節(その1中ほど)に書かれていることは、2章10節(その1、冒頭)に書かれていることと、だいたい同じであり、従って、同じときのことが言われていると考えられるからです。
イザヤ書2章11節に書かれていることは、同章10節に書かれていることと同じときのことであり、11節の「その日」は、12節の「万軍の主の日」と同じときであると思われるので、同章10節に書かれていることは、「万軍の主の日」のことではないか、となります。
そして、イザヤ書2章19節(その1前半)と21節(その1中ほど)に書かれていることは、同章10節に書かれていることと同じときのことであると考えられるので、イザヤ書2章19節(その1前半)と21節(その1中ほど)に書かれていることもまた、「万軍の主の日」のことではないか、となります。
その3、に続きます。