「よみ」について その10

新改訳聖書』第3版のイザヤ書5章11節から14節までに、次のように書かれています。
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11節
  ああ。朝早くから強い酒を追い求め、
  夜をふかして、ぶどう酒をあおっている者たち。
12節
  彼らの酒宴には、立琴と十弦の琴、
  タンバリンと笛とぶどう酒がある。
  彼らは、のみわざを見向きもせず、
  御手のなされたことを見もしない。
13節
  それゆえ、わが民は無知のために捕らえ移される。
  *その貴族たちは、飢えた人々。
  その群衆は、渇きで干からびる。

 

* あるいは「その栄光」

 

14節
  それゆえ、*よみは、のどを広げ、
  口を限りなくあける。
  その威光も、その騒音も、そのどよめきも、
  そこでの歓声も、よみに落ち込む。

 

* ヘ 「シェオル」

 

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14節に、「それゆえ、*よみ(シェオル)は、のどを広げ、口を限りなくあける。その威光も、その騒音も、そのどよめきも、そこでの歓声も、よみに落ち込む。」とあります。

 

「それゆえ」とありますが、何ゆえであると考えられるでしょうか。

 

「わが民は無知のために捕らえ移され・・・*その貴族たち(あるいは、その栄光)は、飢えた人々。その群衆は、渇きで干からびる」(13節)がゆえ、と考えられます。

 

また、13節冒頭にも、「それゆえ」とあります。

 

こちらは、「彼らの酒宴には、立琴と十弦の琴、タンバリンと笛とぶどう酒がある。彼らは、のみわざを見向きもせず、御手のなされたことを見もしない」(12節)がゆえ、と考えられます。

 

「それゆえ、わが民は無知のために捕らえ移される」(13節)、という流れになります。

 

14節に、「・・・その威光も、その騒音も、そのどよめきも、そこでの歓声も、よみに落ち込む。」とあります。

 

「騒音」「どよめき」「歓声」という言葉から、「立琴と十弦の琴、タンバリンと笛とぶどう酒がある」(12節)「彼らの酒宴」(同)が思い浮かびます。

 

「彼らの酒宴」に、「騒音」「どよめき」「歓声」がある、と考えられます。

 

「彼ら」というのは、11節の、「・・・朝早くから強い酒を追い求め、夜をふかして、ぶどう酒をあおっている者たち・・・」のこと、と言うことができます。

 

「彼らは、のみわざを見向きもせず、御手のなされたことを見もしない」(12節)がゆえに、「よみに落ち込む」(14節)、という文脈になると思います。

 

そして、「よみ(シェオル)に落ち込む」のは、「朝早くから強い酒を追い求め、夜をふかして、ぶどう酒をあおっている者たち」だけではなく、「その威光も、その騒音も、そのどよめきも、そこでの歓声も、よみに落ち込む」、ということだと思います。

 

まとめると、「朝早くから強い酒を追い求め、夜をふかして、ぶどう酒をあおっている者たち」(11節)は、「彼らの酒宴」で騒いでいるが、「彼らは、のみわざを見向きもせず、御手のなされたことを見もしない」(12節)ので、「捕らえ移され」(13節)、「よみ(シェオル)に落ち込む」(14節)が、彼らだけではなく、「その威光も、その騒音も、そのどよめきも、そこでの歓声も、よみに落ち込む」(同)、となります。

 

「朝早くから強い酒を追い求め、夜をふかして、ぶどう酒をあおっている者たち」で、「のみわざを見向きもせず、御手のなされたことを見もしない」(12節)ような者たちが、「よみ(シェオル)に落ち込む」、と思われます。