「主の日」について その9

新改訳聖書』第3版のヨエル書1章9節に、次のように書かれています。
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9節
  穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒は
  の宮から断たれ、
  に仕える祭司たちは喪に服する。
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また、同章13節に、次のように書かれています。
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13節
  祭司たちよ。荒布をまとっていたみ悲しめ。
  祭壇に仕える者たちよ。泣きわめけ。
  神に仕える者たちよ。*宮に行(い)き、
  荒布をまとって夜を過ごせ。
  穀物のささげ物も注ぎのぶどう酒も
  あなたがたの神の宮から退けられたからだ。

 

* 「宮に」は補足

 

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9節(上記)に、「穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒はの宮から断たれ・・・『る』。」とあり、13節に、5行目から、「穀物のささげ物も注ぎのぶどう酒もあなたがたの神の宮から退けられ『た』からだ。」とあります。

 

9節に書かれていることは、『これから起きること』として言われているのに対し、13節に書かれていることは、『すでに起きたこと』として言われています。

 

これは、「穀物のささげ物も注ぎのぶどう酒もあなたがたの神の宮から退けられ『た』から」、「穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒はの宮から断たれ・・・『る』。」と考えることができると思います。

 

「退けられ『た』」のには、それなりの理由があると思われます。

 

穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒(は)がの宮から断たれ・・・『る』」(9節、上記冒頭)のは、10節に書かれていることのためではないかと思われます。

 

ヨエル書1章10節は、次のようになっています。
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10節
  畑は荒らされ、地も喪に服する。
  これは穀物が荒らされ、
  新しいぶどう酒も干上がり、
  油もかれてしまうからだ。
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穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒(は)がの宮から断たれ・・・『る』」(9節)のは、「穀物が荒らされ、新しいぶどう酒も干上が」ってしまうからではないか、と思われます。

 

そして「穀物が荒らされ、新しいぶどう酒も干上が」(9節)るのは、現時点では、2章3節に書かれていることのためではないか、と考えます。

 

ヨエル書2章3節は、次のようになっています。
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3節
  彼らの前では、火が焼き尽くし、
  彼らのうしろでは、炎がなめ尽くす。
  彼らの来る前には、
  この国はエデンの園のようであるが、
  彼らの去ったあとでは、荒れ果てた荒野となる。
  これからのがれるものは一つもない。
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「彼らの前では、火が焼き尽くし、彼らのうしろでは、炎がなめ尽くす」(1行目から)ので、「穀物が荒らされ、新しいぶどう酒も干上が」るのではないか、と考えられます。

 

「一つの国民がわたしの国に攻め上(のぼ)った」(1章6節)ためと考えることもできますが、現時点では、上で述べたように考えます。

 

そしてこの、2章3節に書かれていることは、『の日』のことではないかと思います。

 

2章3節に書かれていることは、『の日』のことではないかと思っているので、「穀物が荒らされ、新しいぶどう酒も干上が」(1章10節、上記)るのは、「一つの国民がわたしの国に攻め上(のぼ)った」(1章6節)ためではなく、「彼らの前では、火が焼き尽くし、彼らのうしろでは、炎がなめ尽くす」(2章3節、上記1行目から)ためであると考える、ということです。

 

「一つの国民がわたしの国に攻め上(のぼ)った」(1章6節)、というのは、の日の『前』の、の日が『近い』ときのことである、と考えられるからです。

 

穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒はの宮から断たれ・・・『る』」(9節、上記冒頭)に対し、「穀物のささげ物も注ぎのぶどう酒もあなたがたの神の宮から退けられ『た』」(1章13節、上記)というのも、『の日』の『前』のことと考えられます。

 

その10、に続きます。