「暴虐」について その3

新改訳聖書』第3版のエレミヤ書20章8節に、次のように書かれています。
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8節
  私は、語るごとに、わめき、
  「暴虐だ。暴行だ」と叫ばなければなりません。
  私へののみことばが、一日中、
  そしりとなり、笑いぐさとなるのです。
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2行目に、『「暴虐だ。暴行だ」と叫ばなければなりません。』とあります。

 

「暴虐」と「暴行」があるからだと思います。

 

エレミヤ書20章1節と2節に、次のように書かれています。
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1節
祭司であり、の宮のつかさ、監督者であるイメルの子パシュフルは、エレミヤがこれらのことばを預言するのを聞いた。
2節
パシュフルは、預言者エレミヤを打ち、彼をの宮にある上(かみ)のベニヤミンの門にある足かせにつないだ。
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2節に、「パシュフルは、預言者エレミヤを打ち、・・・」とあります。

 

パシュフルはエレミヤに「暴行」を加えた、と言うことができると思います。

 

また、「パシュフルは、・・・彼(すなわち、預言者エレミヤ)の宮にある上(かみ)のベニヤミンの門にある足かせにつないだ。」とあります。

 

の宮」に「上(かみ)のベニヤミンの門」があるということ、および、「上(かみ)のベニヤミンの門」に「足かせ」がある、ということが分かります。

 

人を「足かせにつな」ぐ、というのは、むごいことであり、人を苦しめることである、つまり、「暴虐」ではないでしょうか。

 

パシュフルは、エレミヤに対して、なぜこのようなことをしたと考えられるでしょうか。

 

20章1節(上記)2行目から、「・・・パシュフルは、エレミヤがこれらのことばを預言するのを聞いた。」とあります。

 

「これらのことば」というのは、何でしょうか。

 

それは、エレミヤ書19章15節の、イスラエルの神、万軍のが仰せられたことばのこと、と言うことができると思います。

 

その4、に続きます。