「主の日」について その8

新改訳聖書』第3版のヨエル書1章16節(その7前半)、および6節と7節(いずれも、その7後半)に書かれていることは、の日が近い時点で、すでに起きたこととして言われています。

 

これに対して、9節と10節に書かれていることは、これから起きることとして言われています。

 

ヨエル書1章9節と10節は、次のようになっています。
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9節
  穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒は
  の宮から断たれ、
  に仕える祭司たちは喪に服する。
10節
  畑は荒らされ、地も喪に服する。
  これは穀物が荒らされ、
  新しいぶどう酒も干上がり、
  油もかれてしまうからだ。
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9節では、最後の行に、「・・・服『する』。」とあり、10節では、同じく最後の行に、「・・・かれて『しまう』・・・」とあります。すでに起きたことではなく、これから起きることとして言われています。

 

そして11節になるとまた、すでに起きたこととして言われています。

 

ヨエル書1章11節は、次のようになっています。
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11節
  農夫たちよ。恥を見よ。
  ぶどう作りたちよ。泣きわめけ。
  小麦と大麦のために。
  畑の刈り入れがなくなったからだ。
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最後の行に、「・・・なくなっ『た』・・・」とあります。

 

また、12節と13節も、すでに起きたこととして言われています。

 

ヨエル書1章12節と13節は、次のようになっています。
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12節
  ぶどうの木は枯れ、いちじくの木はしおれ、
  ざくろ、なつめやし、りんご、
  あらゆる野の木々は枯れた。
  人の子らから喜びが消えうせた。
13節
  祭司たちよ。荒布をまとっていたみ悲しめ。
  祭壇に仕える者たちよ。泣きわめけ。
  神に仕える者たちよ。*宮に行(い)き、
  荒布をまとって夜を過ごせ。
  穀物のささげ物も注ぎのぶどう酒も
  あなたがたの神の宮から退けられたからだ。

 

* 「宮に」は補足

 

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12節下から2行目に、「あらゆる野の木々は枯れ『た』。」とあり、最後の行に、「人の子らから喜びが消えうせ『た』。」とあります。

 

また、13節最後の行に、「・・・退けられ『た』・・・」とあります。

 

ヨエル書1章15節(その7冒頭)の記述からすると、これを書いた人は、の日が『近い』時点にいてこれを書いている、と言うことができると思います。

 

そしてその時点で、6節と7節、11節、12節と13節、および16節に書かれていることは、『すでに起きたこと』として書かれている、と言うことができると思います。

 

つまり、それらの節に書かれていることは、の日の『前』の出来事である、ということです。

 

その9、に続きます。