「主の日」について その17

新改訳聖書』第3版のヨエル書2章31節(その4、冒頭)に、次のように書かれています。
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31節
  の大いなる恐るべき日が来る前に、
  太陽はやみとなり、月は血に変わる。
***

 

2行目に、「太陽はやみとなり、月は血に変わる。」とあります。

 

これは、マタイの福音書24章29節(その16、後半)の、「・・・太陽は暗くなり、月は光を放たず・・・」に似ています。

 

「月」については、異なっています。

 

ヨエル書では、「月は血に変わる」となっているのに対して、マタイの福音書では、「月は光を放たず」となっています。

 

「太陽」については、ヨエル書では「やみとなり」となっており、マタイの福音書では、「暗くなり」となっています。

 

ほぼ同じです。

 

「月」については、月が「血に変わる」(ヨエル)とすると、月は「光を放た」(マタイ)ない、と言えなくもないと思います。

 

つまり、マタイの福音書24章29節(その16、後半)の記述は、ヨエル書2章10節(その16、前半)のことではなく、ヨエル書2章31節(上記冒頭)のことではないか、ということです。

 

ヨエル書2章31節(上記冒頭)のことだとすると、マタイの福音書24章29節(その16、後半)に書かれていることは、の大いなる恐るべき日が来る『前』」(ヨエル書2章31節、上記冒頭)のこと、言い換えると、「の日」の『前』のことである、となります。

 

そうすると、マタイの福音書24章の場合、「の大いなる恐るべき日」、言い換えると、「の日」は、24章30節以降に書かれている、ということになります。

 

つまり、24章29節(上記)の時点では、「の日」はまだ始まっていない、ということです。

 

マタイの福音書24章29節(その16、後半)に書かれていることが、ヨエル書2章10節(その16、前半)のことなのか、それとも、ヨエル書2章31節(上記冒頭)のことなのか、あるいは、それら以外のことなのか、については、今のところはっきりしたことは言えません。

 

その18、に続きます。