「主の日」について その13

新改訳聖書』第3版のエレミヤ書52章5節から7節までに、次のように書かれています。
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5節
こうして町はゼデキヤ王の第十一年まで包囲されていたが、
6節
第四の月の九日、町の中では、ききんがひどくなり、民衆に食物がなくなった。
7節
そのとき、町が破られ、戦士たちはみな逃げて、夜のうちに、王の園のほとりにある二重の城壁の間の門の道から町を出た。カルデヤ人が町を包囲していたので、彼らはアラバへの道を行った。
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6節に、「第四の月の九日、町の中では、『ききん』がひどくなり、民衆に『食物がなくなった』。」とあります。

 

「『ききん』がひどくなり」、とあります。

 

これは、ヨエル書1章12節(その11、後半)の、「ぶどうの木は枯れ、いちじくの木はしおれ、ざくろ、なつめやし、りんご、あらゆる野の木々は枯れた」ということと、また、17節(その12冒頭)の、穀物の種が「干からび」、穀物が「しなびた」と、関係があるのではないか、ということを思わせます。

 

また、「民衆に『食物がなくなった』」(エレミヤ52:6、上記)、とあります。

 

これは、ヨエル書1章16節(その11、冒頭)の、「私たちの目の前で『食物が断たれた』ではないか。・・・」を思わせます。

 

仮にですが、ヨエル書1章12節(その11、後半)や、17節(その12冒頭)、および16節(その11、冒頭)に書かれていることが、エレミヤ書52章6節(上記)の「『ききん』がひどくなり」や、「民衆に『食物がなくなった』」、のことだとすると、エレミヤ書52章5節から7節までに書かれていることは、「の日」が『近い』ときのことである、ということになります。

 

いかがでしょうか。どのように思われますか。