「疫病」について その3

新改訳聖書』第3版のエレミヤ書21章5節と6節に、次のように書かれています。
***
5節
わたし自身が、伸ばした手と強い腕と、怒りと、憤りと、激怒とをもって、あなたがたと戦い、
6節
この町に住むものは、人間も獣も打ち、彼らはひどい疫病で死ぬ。
***

 

5節に、「わたし自身が、伸ばした手と強い腕と、『怒りと、憤りと、激怒』とをもって、あなたがたと戦い、」とあります。

 

「ひどい疫病で死ぬ」(6節)のは、「わたし自身が、・・・『怒りと、憤りと、激怒』とをもって、あなたがたと戦」うときのことではないでしょうか。

 

そのときのことである、と言うことができると思います。

 

「わたし」(5節)というのは、4節より、「イスラエルの神、」のこと、と言うことができます。

 

また、「彼ら」(6節)というのは、「人間」と「獣」のこと、と言うことができると思います。

 

「彼ら(すなわち、人間と獣)」が「ひどい疫病で死ぬ」のは、「わたし(すなわち、イスラエルの神、)自身が、伸ばした手と強い腕と、『怒りと、憤りと、激怒』とをもって、あなたがたと戦」(5節、上記冒頭)うときのことである、と考えられます。

 

そしてこの、「『怒りと、憤りと、激怒』とをもって、あなたがたと戦」(5節、上記冒頭)う、というのは、『わたしの怒りが全うされる』(エゼキエル書5章13節、その2中ほど)ときのことではないでしょうか。

 

もしそうだとすると、「エルサレム」の三分の一は「エルサレム」のうちで「疫病で死ぬか、あるいは、ききんで滅び」、の『疫病で死ぬ』(その2、前半)、というのは、エレミヤ書1章6節(上記冒頭)の、「・・・彼らはひどい『疫病で死ぬ』・・・」のこと、と考えることができると思います。

 

「もしそうだとすると」、ということになりますが、すなわち、エレミヤ書21章5節(上記冒頭)の、「『怒りと、憤りと、激怒』とをもって、あなたがたと戦」う、というのが、エゼキエル書5章13節(その2中ほど)の、『わたしの怒りが全うされる』ときのことだとすると、ということになりますが、そうである可能性は割と高いのではないかと思います。

 

そしてこの、『わたしの怒りが全うされる』ときというのは、バビロンの王とカルデヤ人が城壁の外からあなたがたを囲んでいる(エレミヤ書21章4節、その1冒頭)、『包囲中』のときのことではない、と思われます。

 

したがって、「・・・彼らはひどい疫病で死ぬ・・・」(エレミヤ書21章6節、その1冒頭)、というのは、「この町」を『包囲中』のときのことではない(その1の下から2段落目)、と言うことができると思います。

 

もし『包囲中』のことだとすると、『包囲中』に『わたしの怒りが全うされる』、ということになります。

 

いかがでしょうか。どのように思われますか。