『新改訳聖書』第3版のヨエル書1章15節に、次のように書かれています。
***
15節
ああ、その日よ。主の日は近い。
全能者からの破壊のように、その日が来る。
***
1行目に、「・・・主の日は近い。」とあります。
「近い」、とあるので、この時点では、「主の日」はまだ来ていない、と言うことができます。
これを書いている人は、主の日が近い時点にいて書いている、と言うことができると思います。
続いて、1章16節に、次のように書かれています。
***
16節
私たちの目の前で食物が断たれたではないか。
私たちの神の宮から
喜びも楽しみも消え失せたではないか。
***
「私たちの目の前で食物が断たれたではないか。私たちの神の宮から喜びも楽しみも消え失せたではないか。」だから、「主の日は近い。」(15節、上記冒頭)という文脈になるのではないでしょうか。
16節1行目に、「私たちの目の前で食物が断たれ『た』・・・」とあります。つまり、主の日が近い時点で、すでに起きたこととして言われています。
ヨエル書1章6節と7節に、次のように書かれています。
***
6節
一つの国民がわたしの国に攻め上(のぼ)った。
力強く、数えきれない国民だ。
その歯は雄獅子の歯、
それには雄獅子のきばがある。
7節
それはわたしのぶどうの木を荒れすたれさせ、
わたしのいちじくの木を引き裂き、
これをまる裸に引きむいて投げ倒し、
その枝々を白くした。
***
6節1行目に、「・・・攻め上(のぼ)っ『た』。」とあり、7節最後の行に、「・・・白くし『た』。」とあります。
この二つの節に書かれていることも、すでに起きたこととして言われています。
7節1行目の、「それは」の「それ」というのは、「一つの国民」(6節、1行目)のこと、「力強く、数えきれない国民」(6節、2行目)のこと、と言うことができると思います。
7節は、「一つの国民」、「力強く、数えきれない国民」はわたしのぶどうの木を荒れすたれさせ、わたしのいちじくの木を引き裂き、これをまる裸に引きむいて投げ倒し、その枝々を白くした、となります。
その8、に続きます。